2021年3月24日水曜日

「ヨナ書」ガイドブック 譬え話なのか、歴史なのか

譬え話なのか、歴史なのか 

「ヨナが大きな魚に呑み込まれた」という記述から

「ヨナ書」の歴史的信憑性をめぐる議論が生じたのは無理もありません。

「普通に起こりうる出来事だけが実際に起こりうる」という立場をとれば、

奇跡は決して起こらないことになるからです。

奇跡というものは通常の生活の中では決して起こり得ないものだからです。

 

しかし「神様は全能なお方である」ということを議論の出発点とする場合には、

ヨナを大きな魚に呑み込ませることも、

逆に、ヨナに大きな魚を呑み込ませることさえも、

全能なる神様には何ら難しいことではなくなるはずです。

 

「ヨナ書」の出来事が歴史的にも信頼できることを

ヨナの体験に類似する出来事によって証明しようとする試みがなされてきました。

その一例として

1891年にクジラを捕獲するために銛(もり)を打ち込もうとした漁師が

誤ってクジラに呑み込まれてしまった事件をあげることができます。

まもなく殺されたそのクジラの腹の中からは、

その漁師が意識不明の状態ながらも生きたまま見つかったのです。

もっともこの事件に関しては

「救助された男性の死後、彼の妻はこの事件そのものを否定した」

と主張する研究者もいます。

 

「ヨナ書」の歴史的信憑性を擁護するために、

これと同じような他のケースも提示されてきました。

しかしそれらはすべて、

事実を信仰心による想像で補ったものにすぎなかったともいえます。

 

これとは対極的な考え方の代表例としては

「ヨナは三日三晩「魚」という名の宿屋に宿泊していた」

という主張をあげることができます。

 

ヨナが大きな魚に呑み込まれた出来事がもつ

「ヨナ書」全体における意味を考えてみるとき、

「魚」という言葉は「ヨナ書」を通して二回だけ登場することに気付かされます

(2章1節、2章11節)。

また、「ヨナ書」を一つのまとまりとしてとらえると、

この出来事はその中心的なエピソードであるとはいえません。


ですから、ヨナの経験した一連の出来事すべての歴史的信憑性に

疑念を抱かせるようなエピソードが

あえて「ヨナ書」に加えられているのだとしたら、

それはかなり奇妙なことです。


なお、後の時代においては

「この出来事こそはそれ自体大変重要なメッセージをもっており、

私たちの心の琴線に一番触れる部分である」とみなされるようになりました。

 

結局のところ、私たちは次のような結論で満足するほかないでしょう。

すなわち、もしも全能なる神様がヨナを魚によって救い出そうと望まれたのなら、

そうなさることができるのは当然であったということです。