2019年11月15日金曜日

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について 神様は罰を下すことがあるのでしょうか? 「詩篇」38篇1〜9節(その3)

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について


神様は罰を下すことがあるのでしょうか? 
「詩篇」38篇1〜9節(その3)

さらに「成功の神学」の信奉者たちは、
主の使徒たちが嘲られ侮蔑され鞭打たれる聖書の箇所をも
素通りするほかありません。
このような神学によってはまったく理解することができないこと、
すなわちこの神学がまったく聖書的ではないことを
ひときわ鮮やかに示す聖書の箇所は
「ヨブ記」のとりわけ以下に引用する21章でしょう。


なにゆえ悪しき人が生きながらえ、老齢に達し、かつ力強くなるのか。
その子らは彼らの前に堅く立ち、その子孫もその目の前に堅く立つ。
その家は安らかで、恐れがなく、神のつえは彼らの上に臨むことがない。
その雄牛は種を与えて、誤ることなく、
その雌牛は子を産んで、そこなうことがない。
彼らはその小さい者どもを群れのように連れ出し、その子らは舞い踊る。
彼らは手鼓と琴に合わせて歌い、笛の音によって楽しみ、
その日をさいわいに過ごし、安らかに陰府にくだる。
彼らは神に言う、
『われわれを離れよ、われわれはあなたの道を知ることを好まない。
全能者は何者なので、われわれはこれに仕えねばならないのか。
われわれはこれに祈っても、なんの益があるか』と。
見よ、彼らの繁栄は彼らの手にあるではないか。
悪人の計りごとは、わたしの遠く及ぶ所でない。」
(「ヨブ記」21章7〜16節、口語訳)

神様をないがしろにする人々の「ランプ」が暗闇の中に立ち消えることは、
この世で頻繁に見られる現象ではありません。
神様を拒む富裕層が、
あたかも口に砂利をつっこまれるような屈辱的な体験をすることは
まず起こらないといってよいでしょう。
それどころかまったく逆に、
彼らは普通なら不満の全く出ないような大成功を
この世で収めることがよくあります。

少なくとも一部のキリスト教徒にとって
「成功の神学」はとても魅力的な教えに映るようです。
しかし、これは
神様の真理とはまったく関わりのない反キリスト教的な教えなので、
断じて許容するべきではありません。

主は、御自分に従うよう御許に招かれる人々に対して、
成功や健康を保証してはくださいません。
その代わりに主は、
十字架と辛苦とを私たちに差し出され、
御言葉に書かれてある通りのことを行われます。
しかしまた、
主のみがキリスト信仰者たちに真の命を与えてくださるお方でもあるのです。