2019年10月14日月曜日

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について 神様によって包み込まれた者として 32篇3〜5節(その3)

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について

神様によって包み込まれた者として 32篇3〜5節(その3)

ここで「義」と「キリスト信仰者にふさわしい生き方」との間の
正しい関係について考えてみることにしましょう。

ルター派の信仰理解の核心にはその出発点に
「無条件で完全な罪の赦しの恵み」があります。

この恵みはひとえに
キリストが十字架で流された血のゆえに与えられるものであり、
人間自身の行いやその業績によって左右されるものではまったくありません。

ラテン語の神学用語でこのことはimputatioと呼ばれます。
その意味は
「神様が私たちを私たち自身の罪から解放してくださるおかげで、
それらの罪はもはや『私たちの罪』とはみなされなくなる」
ということです。

赦免の判決と無代価で差し出される恵みとがすでに用意されています。
それを受け入れる人には主への愛が生まれます。
またそれに伴って、主の御言葉に従って生きようという心が与えられます。

私たち人間は罪と戦う時にも「心の底から悔い改める」ことはできません。
無代価でいただける罪の赦しの恵みのありがたみが
どれほどよくわかっているかに応じて
私たちには罪と戦う力が与えられるとも言えましょう。