2019年9月4日水曜日

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について 「詩篇」32篇


「詩篇」32篇

32:1 ダビデのマスキールの歌
そのとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。

32:2 主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。

32:3 わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、
ひねもす苦しみうめいたので、
わたしの骨はふるび衰えた。

32:4 あなたのみ手が昼も夜も、
わたしの上に重かったからである。
わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、
かれ果てた。〔セラ

32:5 わたしは自分の罪をあなたに知らせ、
自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
「わたしのとがを主に告白しよう」と。
その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ

32:6 このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。
大水の押し寄せる悩みの時にも
その身に及ぶことはない。

32:7 あなたはわたしの隠れ場であって、
わたしを守って悩みを免れさせ、
救をもってわたしを囲まれる。〔セラ

32:8 わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、
わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。

32:9 あなたはさとりのない馬のようであってはならない。
また騾馬のようであってはならない。
彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、
あなたに従わないであろう。

32:10 悪しき者は悲しみが多い。
しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。

32:11 正しき者よ、主によって喜び楽しめ、
すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。

(口語訳)

この「詩篇」は「七つのざんげの詩篇」のひとつに数えられています。
しかし「ざんげの詩篇」の本来のスタイルを踏襲してはいません。

マルティン・ルターは適切な解説を残しています。

「これは「教えの詩篇」であり、
罪とは何か、
人が罪から解放されるためにはどうするべきか、
神様の御前で人が義とされるためにはどうすべきなのか」
ということを教えているのです。」(ルター)

このように「詩篇」は
新約聖書の「義認の教え」にとってもきわめて重要な書なのです。