2019年4月1日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 4章7〜19節 世の終わりは近い(その1)

 4章7〜19節 世の終わりは近い(その1)

この箇所(とりわけ7〜11節)におけるペテロの奨励の言葉の内容は、
パウロの教えと大きく重なるものです。
たとえば、「ローマの信徒への手紙」(12〜13章)で
キリスト信仰者に与えられている多くの一連の指示は、
それ自体としてみればたいへん理解しやすく、
日常でもなじみのあるものばかりです。
ところが、これらの指示を具体的に実行しようとすると、
その時はじめて人はその困難さに直面することになります。

奨励はこの箇所でも「希望」という視点に結びつけられています。
しかし、それが「世の終わり」への希望であるのは、
現代のキリスト信仰者にとっては意外なのではないでしょうか。

教会の最初期のキリスト信仰者たちは、
キリスト信仰者としてこの世を生きることに関係する指示を
互いに与えたり受けたりしていました。
その際に彼らの念頭にあったのは
この世の最後の日であり、最後の審判でした。

「ペテロの第一の手紙」の4章の最後は
「世の終わりを待ち望む視点」がキリスト信仰者たちの思いを
二つの方向に導くものであったことをはっきりと示しています。
この視点は、一方では希望を与え、
他方では謙虚さと絶えざる悔い改めへと彼らを導いたのです。

とりわけ12〜14節には、
この希望の視点が次のように提示されています。
たしかに今は厳しく困難な試練の時です。
にもかかわらず、
キリスト信仰者が罪や死や悪魔の圧制下から贖い出され
「神様の身内とされた者」として苦しみを受けるのは
大いなる特権であるとも言えます。

また、希望の視点はキリスト信仰者を謙虚にもします。
すべての人間は最後の裁きを受けることになっています。
それは私たちキリスト信仰者の場合も同じです。
実のところ、
この裁きは「神様の家」から開始されることになっています(17節)。

人間にはうかがい知ることのできない裁き主、
人間の心の内を知っておられる神様は、
いわゆる「イデア」や「思潮」などといったものに
還元して把握できる存在などではありません。

キリスト信仰者はひとりひとりが
たった今神様の御前でひざまずき、
最後の裁きの時にも同じようにひざまずくことになるのです。

ペテロはこのように教えることによって、
この手紙で今まで述べてきた「キリスト信仰者としてあるべき生き方」に
はっきりとした意味合いを持たせています。

すなわち「聖なる神様との関わり合いは遊びごとではない」ということです。