2019年4月5日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 4章7〜19節 世の終わりは近い(その2)

4章7〜19節 世の終わりは近い(その2)

ところで、現代の私たちは
聖書を今述べてきた希望の視点から読む際に、
少しばかり考え込んでしまうのではないでしょうか。
はたして私たちは
心から「世の終わり」を待ち望んでいるのでしょうか。
それとも
「あと何十年もこの世界で生きられるほうがもっと望ましい」
というのが本音に近いのでしょうか。
しかし、教会の最初期のキリスト信仰者たちにとっては
「最後の裁き」に思いを馳せることは大きな慰めでした。

「だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。
見よ、農夫は地の尊い実りを前の雨と後の雨とがあるまで耐え忍んで待っている。
あなたがたも主の来臨が近づいているから耐え忍びなさい。
心を強くしていなさい。」
(「ヤコブの手紙」5章7〜8節)

現代に生きる私たちキリスト信仰者にとって、
この「ヤコブの手紙」にみられる心構えで
キリストの再臨と最後の裁きを忍耐強く待ち望むことは
難しくなってきているのではないでしょうか。
むしろ、私たちはこの世界の終末の到来のほうを恐れてはいませんか。
いったい何が私たちにこのような変化をもたらしたのでしょうか。

教会の最初期のキリスト信仰者と私たち現代のキリスト信仰者との間には
顕著な相違点があります。
それは、
私たちが信仰のゆえに人々から憎まれたり迫害を受けたりするケースが
かなり稀なことになってきているという点です。
もちろん世界的に見れば
キリスト信仰者が過酷な迫害を受けている地域が今もあります。
しかし、いわゆる先進国に住んでいるキリスト信仰者たちは、
貧しい人も中にはいるとはいえ、
一般的に見ればかなり快適な環境に身を置いて暮らしていると言えるでしょう。
そのような生活を送っている人々にとって、
是が非でもこの世の終わりを待望するような心構えは
なかなか持てないものなのではないでしょうか。
このような現状を変えるには、いったいどうすればよいのでしょう。
迫害や病気や怪我などを自らすすんで願い求めるべきなのでしょうか。

もちろんそうではありません。
私たちはこの世で平和で幸せな生活を送れる日々について、
そのように計らってくださる神様に対して感謝を捧げます。
しかしそれと同時に、
私たちは自らの立場をわきまえる必要があります。
すなわち、
私たちキリスト信仰者はこの世では常に「選び分かたれた寄留の民」である
ということです。

私たちは「この世に属する者」ではありません。
キリストのゆえに「天の御国に属する者」なのです。
ですから、この世での快適さに慣れ親しみ過ぎてはいけません。
私たちは天の御国へと帰還する旅の途上にあり、
まだ目的地に到着してはいないからです。