2018年12月5日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章13〜17節 キリスト信仰者とこの世の権威

2章13〜17節 キリスト信仰者とこの世の権威

キリスト信仰者は「この世の権威」に対して服従しなければなりません。

このことをパウロは「ローマの信徒への手紙」の第13章で
ごく手短に教えています。
ペテロは、やはりパウロ同様の簡潔さをもって、
これを自明のこととみなしています。

「主のゆえに従いなさい」
(「ペテロの第一の手紙」2章13節、口語訳)、
とペテロは言い、

「彼(この世の権威のこと、訳者注)は、
あなたに益を与えるための神の僕なのである」
(「ローマの信徒への手紙」13章4節、口語訳)、
とパウロは言っています。

この世における秩序と権威は、
言葉では言い尽くせないほど大いなる、
神様からいただいた賜物なのです。

この世の権威は、
「神様の僕」である自らの立場のことを忘れてしまう場合には、
神様から罰を受けます。

しかし、キリスト信仰者は
この世の権威に対して反乱を企ててはなりません。
「使徒言行録」(5章29節)にあるように、
神様の御言葉に反して行動するように
キリスト信仰者に対して要求することは、
この世の権威がしてはならないことです。

しかし、もしもそのような事態が起こる場合には、
私たちキリスト信仰者は、
「人間に従うよりは、神に従うべきである」
(「使徒言行録」5章29節、口語訳)、という原則に従うことになります。

初期のキリスト教会が一様に、
この世の権威に対して服従するように教えていたことを、
私たちは知っています。

今でもキリスト教徒への迫害は起きているし、
自分が住んでいる国の状況にもよりますが、
現代のキリスト教信徒の多くはこの教えに関して、
乗り越えるのが困難な問題に遭遇する機会はあまりないかもしれません。

しかし、たとえば、
国民の多数が福音ルーテル教会に所属しているフィンランドにおいてさえ、
キリスト教信徒が信仰にかかわる自己の良心を
清く保つことができないような職業もたしかに存在します。
人工妊娠中絶手術を施す義務を負わされている一部の専門医などがその例です。

とはいえ、キリスト教が迫害されている国を除けば、
神様に対する従順を貫くのか、それともこの世の権威に対して服従するのか、
そのどちらかを選択することが困った状況を生むケースは、
一般的にはそれほど多くないかもしれません。

それよりも、たとえば脱税などの不正によって、
この世の権威と神様との双方に対して険悪な状態になってしまうケースのほうが
実際にはしばしば見られるのではないでしょうか。