2014年8月18日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 5章6〜11節 神様の愛は、本来ならその愛に値しない者に対して向けられます(その1)


神様の愛は、本来ならその愛に値しない者に対して向けられます 
5611節(その1)
  
 

この箇所は、理解が困難な7節を含んでいます。
しかし、この節も
全体の構成の中で捉えることにより理解できるようになります。

「善い」と「義なる」という言葉は、
ここでは同じ意味で使われていると思われます。
この節以降は次のように理解できるでしょう、
「誰か義なる人のために死を選ぶ者がどうにか見つかるかもしれない。
あるいは、善い人(または、善いこと)のために
死ぬだけの勇気をもっている人がいるかもしれない。
しかし、 私たちがまだ罪人だった時に、
キリストが、しかるべき時に、
神様をないがしろにしている人々のために死んでくださったことにおいて、
神様はその愛を私たちに示してくださった」。

基本にある考え方は明瞭です。

人間というものは、
悪人を愛するようなことをまったくしませんし、
たとえ善人のためであっても
自らの命を犠牲にするようなことはめったにありません。
しかしながら、神様はそれとはまったく反対のことをなさいます。
すなわち、 
神様をまったくないがしろにしていた私たちを、 
まず率先して神様が愛してくださったのです。
そして、その御子の命を、
神様に背を向けてきた人々のために犠牲として捧げられたのです。

この点に関して、正確な理解を期して、
これらの節から福音を注意深く聴き取るのが大切です。