2024年9月16日月曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」4章6〜10節 キリストの良き僕

キリストの良き僕

「テモテへの第一の手紙」4章6〜10節

 

「これらのことを兄弟たちに教えるなら、

あなたは、信仰の言葉とあなたの従ってきた良い教の言葉とに養われて、

キリスト・イエスのよい奉仕者になるであろう。」

(「テモテへの第一の手紙」4章6節、口語訳)

 

信仰は実際に活用されることで強められていきますが、

殻の中に閉じ込められると萎縮していくものです。

信仰は他の人々にも広めていくことを目的として

神様から与えられているものだからです。

そしてこれは教会の指導者たちだけにではなく

キリスト信仰者全員にもあてはまります。

 

「しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。

信心のために自分を訓練しなさい。」

(「テモテへの第一の手紙」4章7節、口語訳)

 

おそらくパウロは、

エバやマグダラのマリアや罪の堕落に誘惑した蛇さえも

「正しい教師」とみなして称揚したグノーシス主義の教師たちを

念頭に置いてこのように書いています。

グノーシス主義化した教会の指導者はしばしば女性でした。

この箇所でもパウロは

キリスト教会に入り込んできた異端に反撃を加えているといえるでしょう。

 

「からだの訓練は少しは益するところがあるが、

信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、

万事に益となる。」

(「テモテへの第一の手紙」4章8節、口語訳)

 

「からだの訓練」は普通のスポーツのことを意味しているのかもしれません。

古典古代のギリシアでは運動競技が盛んであり、

スポーツ選手たちは人々からの尊敬を受ける英雄でした。

しかしまた「からだの訓練」は禁欲的な生き方を意味している

と考えることもできます(4章3節と比較してください)。

 

キリスト信仰者のこの世における生き方は

来るべき永遠のいのちのための訓練や準備にもなる

というのが上掲の節の考え方である点に注目しましょう。

 

「後の世のいのち」すなわち永遠のいのちは今のいのちよりも大切です。

それゆえ、永遠のいのちのためには

すでに今のいのちにおいても労苦しなければならないのです

(「コリントの信徒への第一の手紙」15章19節も参照してください)。

 

「これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。」

(「テモテへの第一の手紙」4章9節、口語訳)

 

この節は前節の内容を受けているとする研究者たちもいますが、

一般的にはこの節は次節の内容に関連していると考えられています。

 

「わたしたちは、このために労し苦しんでいる。

それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、

望みを置いてきたからである。」

(「テモテへの第一の手紙」4章10節、口語訳)

 

この節に書いてあるような正しい順序を踏まえることが大切です。

訓練は信仰から生じてくるものであって、

信仰が訓練によって生じるものではないのです。

神様への信仰こそが

キリスト信仰者がこの世で訓練を積んでいく出発点になっています。

 

上掲の節は(このガイドブックの著者及び翻訳者が属している)

フィンランド・ルーテル福音協会という海外宣教団体で二十世紀の初頭に

「全世界のためのさいわいなる救い」

という標語にまとめられた内容について述べています。

イエス様は全世界のすべての人間のすべての罪のもたらす

すべての罰を身代わりに引き受けて十字架で死なれることによって

すっかり帳消しにしてくださいました。

まさにそのおかげで罪人全員すなわち全人類を

罪と死と悪魔の支配から救われる主となられたのです。

イエス様によるこの贖いの御業は、

誰であれ洗礼を受けイエス様を救い主と信じることを通して

ただでいただくことができます。

しかしこの御業を死に至るまで頑なに受け入れない人は、

その人のためでもある「全世界のためのさいわいなる救い」が

無駄になってしまうため、救われることはありません。

 

「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。

神の恵みをいたずらに受けてはならない。

神はこう言われる、

「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、

救の日にあなたを助けた」。

見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」

(「コリントの信徒への第二の手紙」6章1〜2節、口語訳)。