2023年6月12日月曜日

「ハバクク書」ガイドブック 「ハバクク書」3章3〜15節 万物を造り歴史を導かれるお方(その1)

万物を造り歴史を導かれるお方 「ハバクク書」3章3〜15節(その1)

 

「神はテマンからこられ、

聖者はパランの山からこられた。

その栄光は天をおおい、

そのさんびは地に満ちた。(セラ

その輝きは光のようであり、

その光は彼の手からほとばしる。

かしこにその力を隠す。

疫病はその前に行き、熱病はその後に従う。

彼は立って、地をはかり、

彼は見て、諸国民をおののかせられる。

とこしえの山は散らされ、永遠の丘は沈む。

彼の道は昔のとおりである。

わたしが見ると、クシャンの天幕に悩みがあり、

ミデアンの国の幕は震う。

主よ、あなたが馬に乗り、

勝利の戦車に乗られる時、

あなたは川に向かって怒られるのか。

川に向かって憤られるのか。

あるいは海に向かって立腹されるのか。

あなたの弓は取り出された。

矢は、弦につがえられた。(セラ

あなたは川をもって地を裂かれた。

山々はあなたを見て震い、

荒れ狂う水は流れいで、

淵は声を出して、その手を高くあげた。

飛び行くあなたの矢の光のために、

電光のようにきらめく、あなたのやりのために、

日も月もそのすみかに立ち止まった。

あなたは憤って地を行きめぐり、

怒って諸国民を踏みつけられた。

あなたはあなたの民を救うため、

あなたの油そそいだ者を救うために出て行かれた。

あなたは悪しき者の頭を砕き、

彼を腰から首まで裸にされた。(セラ

あなたはあなたのやりで将軍の首を刺しとおされた。

彼らはわたしを散らそうとして、

つむじ風のように来、

貧しい者をひそかに、のみ滅ぼすことを楽しみとした。

あなたはあなたの馬を使って、

海と大水のさかまくところを踏みつけられた。」

(「ハバクク書」3章3〜15節、口語訳)

 

上記の箇所を読んですぐに気がつくことが二つあります。

第一に、神様が天地を造り常に統べる創造主であられることに

しばしば言及されているということです。

この主題については「出エジプト記」15章1〜18節でのモーセの歌、

「マタイによる福音書」14章22〜33節なども参考になります。

次に一例を挙げます。

 

「主は怒ることおそく、力強き者、

主は罰すべき者を決してゆるされない者、

主の道はつむじ風と大風の中にあり、

雲はその足のちりである。

彼は海を戒めて、これをかわかし、

すべての川をかれさせる。

バシャンとカルメルはしおれ、

レバノンの花はしぼむ。

もろもろの山は彼の前に震い、もろもろの丘は溶け、

地は彼の前にむなしくなり、

世界とその中に住む者も皆、むなしくなる。

だれが彼の憤りの前に立つことができよう。

だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう。

その憤りは火のように注がれ、

岩も彼によって裂かれる。

主は恵み深く、なやみの日の要害である。

彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。

しかし、彼はみなぎる洪水であだを全く滅ぼし、

おのが敵を暗やみに追いやられる。」

(「ナホム書」1章3〜8節、口語訳)

 

第二に、神様がイスラエルの民を何百年間も絶え間なく導かれたと

強調されていることです。

これについては「イザヤ書」11章15節、34章1〜15節、

51章9〜10節などが参考になるでしょう。

 

これら二つの事柄は互いに分け隔てることができないほど

密接に関連しあっています

(例えば「詩篇」68篇がその一例です)。

一般的に顕著なのは、

イスラエルの民がエジプトから脱出した後に荒野を歩み続けたと

度々語られていることです。