2021年5月14日金曜日

「ヨナ書」ガイドブック ヨナをニネヴェに遣わされる神様 3章1〜4節(その2)

 ヨナをニネヴェに遣わされる神様 3章1〜4節(その2)

 

エルサレムからニネヴェまでは約800キロメートル離れており、

当時の旅ではおよそ一ヶ月間かかりました。

ヨナはエルサレムからではなく、

どこかの海岸地域からニネヴェへと出発したのでしょう。

しかし、その旅に要する時間はエルサレムから出発した場合と

さほど変わらなかったものと思われます。


ですから、

旅の途中でヨナには神様から受けた教えの内容を

じっくり考える時間が与えられたことになります。

このようなやり方で神様は御自分の僕であるヨナに

ゆったりと時間をかけて働きかけてくださったのです。

 

ニネヴェはどれほど大きな都市だったのでしょうか。

それについては

「神様にとって大きな町であり、徒歩で三日を要するほどであった」

(「ヨナ書」3章3節より、高木訳)という記述があります。

これは私たちの尺度に換算すると約100キロメートルに相当します。

この距離がニネヴェの直径なのかそれとも円周なのかについては

研究者の間でも意見が分かれています。

 

当時の都市の規模としてこの距離はあまりにも大きすぎる、と考える研究者もいます。

考古学的な発掘調査によって得られた推定データ

およびアッシリア諸王の年代記の記述によるならば、

ニネヴェの大きさは約20キロメートルだったことになります。

 

この「ずれ」については、

ヨナの言う「三日を要するほど」の大きさとは

都市ニネヴェの周辺地域の小さな町々も加えた場合の規模だった、

と説明することもできます。

たとえば「創世記」10章11〜12節には4つの町の名があげられています。

それらのうちで最初にその名があげられている町がニネヴェであり、

それら4つの町々は(一緒にすると)「大きな町」であったと言われています。

 

また「神様にとって大きな町」(3節)という表現は

ニネヴェが「神様にとって大切な町」であったという意味にもとれます。

それによると、

ニネヴェが神様にとって大切な町であったがゆえに

神様は悔い改めのメッセージをニネヴェの路地の隅々まで宣べ伝える労を

惜しまれなかった、という意味になるでしょう。

 

この神様のニネヴェ伝道への情熱とは対照的に

「ニネヴェにはもはや40日間しか憐れみの時が残されていない」

というヨナのメッセージは冷淡そのものでした。


この40という数字はでたらめに選ばれたものではありません。


預言者エレミヤは来るべきエルサレムの滅亡について

それが起こる40年前に宣べ伝えました(「エレミヤ書」1章1〜3節)。


またイエス様もエルサレムの崩壊(紀元70年)について

その通りになる40年前に宣教なさいました。

また当時は40年が一世代分の長さであるとされていました。

 

ヨナの宣教のケースでは、

ニネヴェに与えられた悔い改めのための時間は

「40年間」ではなく「40日間」というごく短い期間でした。


これからわかるように、

神様のお立てになった御計画はきわめて急を要するものでした。

エレミヤはエルサレムで40年間宣教しましたが、

ヨナはニネヴェで同じように40年間宣教するわけにはいかなかったので、

スケジュールが過密になったのはやむを得なかったのでしょう。

 

ヘブライ語原文を見ると、

ニネヴェでのヨナのごく短い説教を締めくくる

「滅ぼされる」(4節)という言葉には

受動的な意味を表すニファル態の動詞が用いられています。

同じ動詞はソドムとゴモラの滅亡の描写(「創世記」19章24節以降)

にも登場します。


なお、この動詞には「根本的に変えられる」という別の意味もあります。

ですから

「主に対するニネヴェの態度は根本的に変えられる」という解釈も可能です。