2021年5月5日水曜日

「ヨナ書」ガイドブック 3章 ニネヴェを憐れまれる神様 ヨナをニネヴェに遣わされる神様 3章1〜4節(その1)

「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様

 

ヨナをニネヴェに遣わされる神様 3章1〜4節(その1)

 

神様はヨナにすでに一度与えたことのある使命をふたたびお与えになりました。

「ニネヴェに出かけて行って、

神様の御心をそこの人々に宣べ伝えなければならない」という使命です。

 

ヨナの説教は「まだ四十日間ある。そしてニネヴェは滅ぼされる」というものです

(「ヨナ書」3章4節の一部、高木訳)。

これはヘブライ語原文ではわずか6つの単語からなっています。

 

もちろんヨナの説教は本来もっと長いものであった可能性もあります。

そうである場合には「ヨナ書」を書き留めた人物が

ヨナの説教の核心部分を短くまとめたことになります。

 

ニネヴェの人々に向けられたこの説教のメッセージには、

ヨナの言いたいことではなくて神様がお伝えになりたいことが込められています。

これは特に重要な点です(2節)。

そもそも伝道者は神様の御言葉を宣べ伝えるのが使命ですが、

彼らにとって、自分でよく知っていると思うことや会衆が期待していることを

「神様からのメッセージ」として伝えてしまおうとする誘惑は大きいです。

このことについて、たとえばパウロは同僚者のテモテに次のように書いています。

 

「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、

自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、

作り話の方にそれていく時が来るであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」4章3〜4節、口語訳)

 

それゆえ、

説教者が御言葉を通して神様からいただいたメッセージを

忠実に聴衆に伝えることができるように祈りで支えるのは

教会員に与えられた大切な使命なのです。

 

神様の御言葉を理解する正しいやり方は

実はたったひとつしかないとも言えるでしょう。

それは「御言葉に従うこと」です。

以下の「申命記」の箇所を参照してください。

 

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。

しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、

われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」

(「申命記」29章28節、口語訳。節番号はヘブライ語原文に従っています)

 

ところが、

私たちは実際にはそれとはまったく逆の順序で行動してしまうことがよくあります。

例えば、

活動方針をまず決めてからそれを神様の御言葉によって後から根拠付けてみる、

というやり方です。


本来ならば、

まず神様の御言葉から神様の御心を聴き取ることからはじめて、

それから具体的な活動内容を決めていく、

というやり方を取るべきところです。