2021年4月14日水曜日

「ヨナ書」ガイドブック 救われたことを神様に感謝するヨナ 2章2〜10節(その2)

 救われたことを神様に感謝するヨナ 2章2〜10節(その2)

 

イエス様がこの地上で生活しておられた時代に、

サドカイ派はユダヤ教において理性に頼った考え方を標榜する祭祀階級でした。

たとえば、サドカイ派は復活も天使の存在も信じていませんでした。

サドカイ派は旧約聖書の最初の五書

(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)のみが

唯一真正なる神の言葉であり、

復活や天使はこれら五書(いわゆる「律法」)に表明されている正しい信仰に

後から付加されたものであると主張したのです。


このサドカイ派に対して、

イエス様は復活がすでに上記の五書の中に記されていることを

次のように指摘なさいました。

 

「復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、

その日、イエスのもとにきて質問した、

「先生、モーセはこう言っています、

『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、

兄のために子をもうけねばならない』。

さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。

長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、

その妻を弟に残しました。

次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。

最後に、その女も死にました。

すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。

みんながこの女を妻にしたのですが」。

イエスは答えて言われた、

「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。

復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。

彼らは天にいる御使のようなものである。

また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。

『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。

群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。」

(「マタイによる福音書」22章23〜33節、口語訳)

 

伝統的に旧約聖書は「律法」「預言者」「諸書」の三つの部門に分けられます

(それぞれヘブライ語で「トーラー」「ネヴィイーム」「ケトゥヴィーム」です)。

旧約聖書の中でも、

「律法」(旧約聖書の最初の五書)以外の

「預言者」(預言書)や「諸書」(「詩篇」など)の部門にこそ

復活についての明瞭な記述があるのは事実であり、

この点でサドカイ派の主張は正しかったとも言えます。

たとえば「ヨナ書」2章7節は「預言者」の中で、

また「ヨブ記」19章25〜26節は「諸書」の中で、

復活が確かに存在することを明証する箇所として知られています。

 

「わたしは地に下り、

地の貫の木はいつもわたしの上にあった。

しかしわが神、主よ、

あなたはわが命を穴から救いあげられた。」

(「ヨナ書」2章7節、口語訳。節数は旧約聖書原語版によっています)

 

「わたしは知る、

わたしをあがなう者は生きておられる、

後の日に彼は必ず地の上に立たれる。

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、

わたしは肉を離れて神を見るであろう。」

(「ヨブ記」19章25〜26節、口語訳)

 

このように、

イエス様の時代のユダヤ人たちやイエス様の弟子たちにとって

「復活」はなじみのない奇妙な考え方ではありませんでした。

しかし、

彼らは復活が世の終わりの時に起きるものとすっかり思い込んでいたのです。

だからこそ、

十字架の死からわずか三日目にイエス様が死者の中から復活されたことは

彼らに大きな驚きを与えました。