救われたことを神様に感謝するヨナ 2章2〜10節(その3)
ヨナは自分では主から罪の赦しを受けておきながら、
依然としてニネヴェの人々に対しては憐れみの心を示しませんでした
(2章9節)。
彼はまるでイエス様の譬え話に出てくる負債者のようでした。
この負債者は自分では多額の借金を帳消しにしてもらったのに、
友人たちに貸した少額の借金を免除してあげようとはしなかったのです
(「マタイによる福音書」18章23〜35節)。
ヨナの不従順さはこの負債者よりもはるかに重大なケースです。
「罪人を憐れみたい」というのが神様の御心でした
(4章11節)。
そのことをヨナはすでに知っていましたが、
ニネヴェの人々はまだ知らされていなかったからです。
これと似たような危険は私たちにもつきまとっています。
ともすると私たちは自分と神様との関係だけを考えて、
他の人々のことを忘れたり裁いたりさえする傾向があるからです。
それに対して、
自分の罪が赦されたのは自分のよい行いとはまったく無関係であり、
ひとえにイエス・キリストの贖いの御業のゆえであることを
はっきりわかっている人は、
イエス様の十字架での死のゆえに全世界のすべての人の罪を赦された
憐れみ深い神様について他の人たちにもぜひ告げ知らせたい、
という伝道する心を自ずと持つようになるものです。
こうしてみてくると、
神様がヨナに対して教えたり働きかけたりしなければならないことがらは
まだたくさんあったことがよくわかります。
生涯をかけて神様の御心を実現していくことをヨナは神様に約束しました。
すると、魚は主の命令を受けてヨナを陸に吐き出したのです
(2章10節)。