2021年2月10日水曜日

「ヨナ書」ガイドブック  ヨナとは何者か?

これからは旧約聖書の「ヨナ書」についてのガイドブックを更新していきます。


「ヨナ書」ガイドブック 

 

フィンランド語版著者 パシ・フヤネン (フィンランド・ルーテル福音協会牧師)


日本語版翻訳・編集者 高木賢 (フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

 

内容には一部変更が加えられています。

聖書の引用は口語訳によっていますが、

必要に応じて直接ヘブライ語原文からも訳出しています。

なお、章節の番号についてはBiblia Hebraica Stuttgartensiaに準拠しているため、

口語訳聖書とは一部ずれています。

 

 

 

だめな予言者ヨナ、よい預言者ヨナ

 

 

「ヨナ書」について

 

「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない

 

「ヨナ書」2章 ヨナのしるし

 

「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐んでくださる神様

 

「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様

 

 

 

「ヨナ書」について

 

 

ヨナとは何者か?

 

旧約聖書に含まれる多数の預言書の中でも「ヨナ書」は例外的であると言えます。

他の預言書では預言者自身の話や説教がその大部分を占めているのに対して、

「ヨナ書」ではヨナの体験した冒険談がその主要な部分を構成しています。

 

「ヨナ書」に描写されていることがら、

たとえばヨナが海の大きな魚の腹の中に入ったことや

ニネヴェの異邦人たちが悔い改めて主なる神様を信じるようになった事件などは

実に不思議な出来事です。

このために、多くの聖書研究者は「ヨナ書」の内容を歴史的な出来事とはみなさず、

架空の教訓談や譬え話としてとらえています。

 

「ヨナ書」には、この書に描かれている出来事がいつごろ起きたのかを

確定するために必要な情報がほとんどありません。

ニネヴェは紀元前612年に滅亡したので、

ヨナがニネヴェで伝道したのはそれ以前の出来事だったことになります。

また「列王記下」14章25節には

「アミッタイの子ヨナ」についての言及があります。

彼はイスラエルの王ヤロベアム二世の時代(紀元前793年〜753年)に

活動した預言者です。

彼はガリラヤ地方のナザレにほど近いガト・ヘフェルの出身でした。

ヨナはサルパトのやもめの息子であったとみなすユダヤ人の伝承もあります。

預言者エリヤが死から生き返らせたあの子どものことです

(「列王記上」17章17〜24節)。

 

 

これからひとつの問題を考えてみたいと思います。

はたして「ヨナ書」は

紀元前750年頃にイスラエルの預言者ヨナに起きた実際の出来事を

記録したものなのでしょうか。

それとも、

アミッタイの子ヨナを主人公に据えた架空の物語あるいは譬え話なのでしょうか。


 

「ヨナ書」を譬え話とみなす主張について

 

旧約聖書の研究者のうちの大多数は

「ヨナ書」を歴史的に信用できる文書ではないと断じています。

「ヨナ書」のことを「教訓物語」とみなす人もいれば

「諧謔的な掌編」ととらえる人もいます。

また「アレゴリー」(寓話)に分類する人もいれば、

たんなる「譬え話」と考える人もいます。

 

「ヨナ書」は歴史的事実に基づくものではないと主張する根拠として、

たとえば次のような点が挙げられています。


1)ヨナはクジラの腹の中にいたはずがない。

クジラの喉は小さすぎて人間を呑み込むことができないからである。


2)ヨナの時代にイスラエルの民は

神様の意思を異邦人に宣べ伝えることを認めていなかった。


3)「ヨナ書」のヘブライ語にはアラム語の影響がみられる箇所がある。

すなわち、この書はバビロン捕囚以後に書かれたものだということになる。


4)「英雄が魚の腹から救い出される」という物語はギリシア神話にもある。

したがって、この書はギリシア神話から転用された創作であり、

ヘレニズム時代(とりわけ紀元前300〜200年ごろ)に書かれたものである。


5)「ヨナ書」はいわゆる歴史書ではない。

この書を記した者もその内容を文字通りに受け取ることを期待してはいなかった。

この書は教訓物語であり喩え話なのである。

 

こういった主張を支持する研究者たちは

「ヨナ書」をバビロン捕囚以後の紀元前400年〜200年頃に書かれたものである

と推定しています。

 

その一方で、上述の主張に対する批判ももちろんあります。

 

1に対する批判)

       聖書は「クジラ」がヨナを呑み込んだとは言ってはいない。

「大きな魚」とか「海の怪物」といった表現をしている。

イエス様もヨナについて

「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、

人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」

(「マタイによる福音書」12章40節、口語訳)と言っておられる。

ともあれ、

聖書自身もヨナが救い出されたことを普通の出来事ではなく奇跡とみなしている。

 

2に対する批判)

「ヨナ書」で神様が異邦人たちに憐れみを豊かに示されたことを、

イスラエルの一員としてヨナもまた認めようとしなかった。

 

3に対する批判)

       たとえ「ヨナ書」が紀元前400年〜200年頃に書かれたものだとしても、

    この書に描かれている出来事が実際に起きて

    後代まで語り継がれていった可能性は否定できない。

    「ヨナ書」の言語的な特徴(アラム語の影響)は

    北イスラエルの方言の影響であるとも推定されうる。

    たとえば「士師記」12章6節の「シッポレト」と「シッボレト」という

    方言の違いに関する記述をここで思い起こそう。

 

4に対する批判)

       類似の「物語」が他の書物にも登場するからといって、

    イスラエルの民がそれを他から借用したという根拠にはならない。

    それとは逆に他の書物のほうが「ヨナ書」の内容を借用した

    という可能性だって同じようにありうる。

 

5に対する批判)

    「ヨナ書」は譬え話ではありえない。

    譬え話としてはあまりにも複雑すぎ、多様な解釈が可能でありすぎる。

    普通の譬え話ではある特定のメッセージが強調されるものである。

    「ヨナ書」が譬え話であるとするならば、

    どうしてその主人公としてわざわざ「アミッタイの子ヨナ」

    という昔の預言者が選ばれなければならなかったのか。

    譬え話のメッセージを一般的に誰にでも容易に当てはまるようにするために

    「不特定の人物」が主人公として選ばれるはずである。

 

「ヨナ書」を歴史的な事実の記述として認めるのを一番強く妨げる根拠になりうるのは、

この書に記されている数々の奇跡でしょう。

これらの点については後にそれらの該当箇所で詳しく取り上げることにしましょう。