2020年10月28日水曜日

「ルツ記」ガイドブック 生まれ出ずる希望 「ルツ記」2章17〜23節(その1)

 生まれ出ずる希望 「ルツ記」2章17〜23節(その1)

 

ルツが夕暮れまで拾い集めた大麦は一エパほどでした(17節)。

当時の度量衡は現代の基準ほど精度の高いものではありませんでしたが、

「エパ」は約30〜40リットルに相当したようです。

それにしても、ルツの拾い集めた大麦は

1日分の収穫量としては類を見ないほど多いものでした。

ルツを出迎えたナオミの示した次のような驚きと喜びからもそれがわかります。

 

「しゅうとめは彼女に言った、

「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。

あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。

そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、

「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。」

(「ルツ記」2章19節、口語訳)

 

このようにナオミはまず、

ボアズのためにその名をまだ知らなかった時に祝福を祈りました。

後になってからようやく彼女はルツに親切を示してくれた人物が

他ならぬボアズであったことを知ることになります。

私たちが他人の行いを評価する際には、

このナオミの姿勢とはまったく逆に

「どのようなことが行われたか」ではなく

「誰がそれを行ったのか」ということを基準にして

判断を下す場合が度々あるのではないでしょうか。

 

「ナオミは嫁に言った、

「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、

どうぞその人を祝福されますように」。

ナオミはまた彼女に言った、

「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。」

(「ルツ記」2章20節、口語訳)

 

この節の「死んだ者」とは、

死去したエリメレクと彼の二人の息子たちのことです。

ナオミとルツの世話をすることは、

死去した者たちを敬いつつ覚えることや、

彼らの子孫を助けることを意味していました。

 

「ルツ記」では「縁者」(ヘブライ語で「ゴーエル」)と訳されている言葉が

この節ではじめて登場します。

これはヘブライ語の動詞「ガーアル」と同じ語根からなる単語です。

ヘブライ語では語根が

それに基づく種々の派生語に共通する基本的な意味を与えます。

動詞「ガーアル」には「贖う」、「解放する」、「親戚としての義務を果たす」

といった意味があります。


以下に引用する旧約聖書の箇所からもわかるように

「縁者」(「ゴーエル」)には多くの果たすべき義務があります。

 

1)

「あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、

彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。

たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、

その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、 

それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。

そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。

しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、

その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、

ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。」

(「レビ記」25章25〜28節、口語訳)

 

このように、

もしもイスラエル人が資産を失って自分の土地を売ることになった場合、

その人に最も近い親戚がその売られた土地を買い戻さなければならない

とモーセの律法は命じています。

 

2)

「あなたと共にいる寄留者または旅びとが富み、

そのかたわらにいるあなたの兄弟が落ちぶれて、

あなたと共にいるその寄留者、旅びと、

または寄留者の一族のひとりに身を売った場合、

身を売った後でも彼を買いもどすことができる。

その兄弟のひとりが彼を買いもどさなければならない。

あるいは、おじ、または、おじの子が彼を買いもどさなければならない。

あるいは一族の近親の者が、彼を買いもどさなければならない。

あるいは自分に富ができたならば、自分で買いもどさなければならない。

その時、彼は自分の身を売った年からヨベルの年までを、

その買い主と共に数え、その年数によって、身の代金を決めなければならない。

その年数は雇われた年数として数えなければならない。」

(「レビ記」25章47〜50節、口語訳)

 

このように、イスラエル人が奴隷として売られた場合には、

その人にとって近しい親戚である「縁者」が

その人を自由の身にするために贖い出さなければなりません。

 

3)

「血の復讐をする者は、自分でその故殺人を殺すことができる。

すなわち彼に出会うとき、彼を殺すことができる。

またもし恨みのために人を突き、

あるいは故意に人に物を投げつけて死なせ、

あるいは恨みによって手で人を打って死なせたならば、

その打った者は必ず殺されなければならない。

彼は故殺人だからである。

血の復讐をする者は、その故殺人に出会うとき殺すことができる。」

(「民数記」35章19〜21節、口語訳)

 

このように、「縁者」(「ゴーエル」)の使命には、

殺された親戚のために「血の復讐をする者」となることも含まれていました。

この表現はヘブライ語では

「ゴーエル(「復讐をする者」)・ハッダーム(「その血の」)」と言います。

ここで「縁者」と「復讐をする者」とが

ヘブライ語では全く同じ単語であることに注目しましょう。

 

4)

「イスラエルの人々に告げなさい、

『男または女が、もし人の犯す罪をおかして、

主に罪を得、その人がとがある者となる時は、

その犯した罪を告白し、その物の価にその五分の一を加えて、

彼がとがを犯した相手方に渡し、そのとがをことごとく償わなければならない。

しかし、もし、そのとがの償いを受け取るべき親族(「ゴーエル」)も、

その人にない時は、主にそのとがの償いをして、

これを祭司に帰せしめなければならない。

なお、このほか、そのあがないをするために用いた贖罪の雄羊も、

祭司に帰せしめなければならない。』」

(「民数記」5章6〜8節、口語訳)

 

上の箇所は、損害を受けた当事者がすでに死去しており、

またその人の「縁者」も存在しない場合に適用されるモーセの律法の規定です。

 

5)すでに引用した「申命記」25章5〜10節からもわかるように、

「縁者」にはレビラト婚を遂行する権利(あるいは義務)があります。

すなわち、自分の子どものいないイスラエル人の男が死んだ場合には、

彼に最も近い親戚の男が彼の妻だったやもめと結婚します。

そして、そのレビラト婚を通して生まれた最初の男の子は、

死んだ男の子どもとみなされ、その遺産相続者とされます。

このようにすることで、

死んだ男の一族がイスラエルの中に存続していけるように配慮されたのです。