2020年10月7日水曜日

「ルツ記」ガイドブック ボアズの畑で 「ルツ記」2章1〜16節(その4)

ボアズの畑で 「ルツ記」2章1〜16節(その4)

 

「彼女は地に伏して拝し、彼に言った、

「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、

親切にしてくださるのですか」。」

(「ルツ記」2章10節、口語訳)

 

驚いたルツのボアズへの質問には当時の社会の現実が映し出されています。

当時モアブ人がイスラエルの畑で落ち穂を拾い集める許可をもらえることは

決して当たり前ではありませんでした。

ナオミの次の言葉からもこのあたりの事情が伺えます。

 

「ナオミは嫁ルツに言った、

「娘よ、その人のところで働く女たちと一緒に出かけるのはけっこうです。

そうすればほかの畑で人にいじめられるのを免れるでしょう」。」

(「ルツ記」2章22節、口語訳)

 

当時の常識では考えられないようなボアズの親切な態度に

ルツは心からの驚きを覚えたのです。

 

「どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。

どうぞ、イスラエルの神、主、すなわち

あなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主から

じゅうぶんの報いを得られるように。」

(「ルツ記」2章12節、口語訳)

 

このようにボアズはルツのために主に祈りました。

後ほど明らかになるように、

実は彼の祈りの答えとなるのは他ならぬ彼自身でした。

そして、私たちの人生でもこれと似たようなことが起こりえます。

たとえば、私たちが何かの実現のために祈るとき、

それを実現する使命が私たち自身に与えられる、というように。

 

上掲の節の「あなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主」

というボアズのルツに対する言葉は、

後にルツがボアズに言うことになる次の発言と呼応しています。

 

「わたしはあなたのはしためルツです。

あなたのすそで、はしためをおおってください。

あなたは最も近い親戚です。」

(「ルツ記」3章9節より、口語訳)

 

これと類似の表現は聖書に何度も出てきます。

たとえば、イエス様は次のように言われました。

 

「ああ、エルサレム、エルサレム、

預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。

ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、

わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。

それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」

(「マタイによる福音書」23章37節、口語訳)

 

次に旧約聖書の箇所を見ていきましょう。

モーセはイスラエルの全会衆に向かって次のように歌いました。

 

「わしがその巣のひなを呼び起し、

その子の上に舞いかけり、

その羽をひろげて彼らをのせ、

そのつばさの上にこれを負うように、

主はただひとりで彼を導かれて、

ほかの神々はあずからなかった。」

(「申命記」32章11〜12節、口語訳)

 

次は「詩篇」の箇所です。

 

「神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。

人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、

あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。

あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。」

(「詩篇」36篇8〜9節、口語訳、節番号はヘブライ語版に従っています)

 

「神よ、わたしをあわれんでください。

わたしをあわれんでください。

わたしの魂はあなたに寄り頼みます。

滅びのあらしの過ぎ去るまでは

あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。」

(「詩篇」57篇2節、口語訳、節番号はヘブライ語版に従っています)

 

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。

あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。

そのまことは大盾、また小盾である。」

(「詩篇」91篇4節、口語訳)