2020年5月13日水曜日

「ルツ記」ガイドブック 「ルツ記」を読むために 士師の時代、混迷の時代(その1)

「ルツ記」ガイドブック


フィンランド語版著者 パシ・フヤネン
(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)

日本語版翻訳・編集者 高木 賢
(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

日本語語版の内容には
聖書の箇所や説明を加えるなどの編集が加えられています。
聖書の引用は原則として口語訳によっていますが、
必要に応じて直接ヘブライ語原文からも訳出しています。
なお、章節の番号についてはBiblia Hebraica Stuttgartensia(1987年版)
に準拠しているために口語訳とは章節数が一致していない場合があります。



「ルツ記」を読むために


士師の時代、混迷の時代(その1)

旧約聖書の中に収められている「ルツ記」は、
同じく旧約聖書の一冊である「士師記」に描かれている
「士師の時代」に起きた出来事として位置付けられています
(「ルツ記」1章1節)。
これは時代的には紀元前1100〜1000年頃に相当します。
より具体的に言えば、
「士師記」6〜8章に登場するギデオンがイスラエルの士師を務めた
時代の出来事だったのではないかとも推測されています。
「士師」とは、
王政に移行する以前の時代にイスラエルの民を指導した裁定者のことです。

「士師記」はその最後の一節で士師の時代の特徴を次のように言い表しています。

「そのころ、イスラエルには王がなかったので、
おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。」
(「士師記」21章25節、口語訳)

士師の時代の後には王の時代が来ました。
この時代は、
最後の士師であり偉大な預言者でもあったサムエルが
サウルにイスラエルの民の正当な王のしるしとして油を注いだ時に始まりました。

いったい誰が「ルツ記」を記したのでしょうか。
残念なことにそれを確定するのは困難です。
たとえばユダヤ教の伝承では、
預言者サムエルが「ルツ記」の執筆者であったとされました。
「ルツ記」の末尾(4章17〜22節)にある系図には
ダヴィデに至るまでの系図が記されています。
ダヴィデに油を注いでイスラエルの民の王としたのはサムエルでした。

いつ頃「ルツ記」が 書かれたのかも謎に包まれています。
紀元前597年に始まったバビロン捕囚の後であった
という見解をとる研究者もいますが、これは説得力に欠ける説です。
「ルツ記」は偉大なダヴィデ王の母方にあたるルツが
異邦人民族であるモアブ人であったことをわざわざ明記しています。
一方で、捕囚時代のユダヤの民にとって、
ダヴィデが血筋的に正統な王位継承者であったかどうかということは
非常に重要な問題だったはずです。
ですから、
もしもバビロン捕囚の時代に「ルツ記」が書き記されたのだとすると、
その書でルツがモアブ人であったという事実をあえて公表した動機が
わからなくなります。

「ルツ記」の末尾に記されている系図には
ダヴィデの後継者ソロモンの名前がありません。
このことから「ルツ記」は王の時代のごく初期、
紀元前900〜800年代頃に書き記されたものではないか
とも推定されています。
あるいは、
「ルツ記」の出来事の内容自体はこの時期に遡るものの、
「書物」として実際に書き記されたのはもっと時代が下ってからであった
という可能性もあります。