ここでもう一度、第一章の教えに立ち戻ることにしましょう。
ペテロは「キリスト信仰者が聖なる者にふさわしい生き方をするように」
と奨励するさいに、次のことを思い起こすように促します。
「あなたがたのよく知っているとおり、
あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、
銀や金のような朽ちる物によったのではなく、
きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」
(1章18〜19節、口語訳)。
新約聖書に登場する「あがない」という言葉には
元々いくつもの意味が含まれていました。
このことに関連して、
旧約聖書は当時の世界の多様な側面を生き生きと私たちに開示してくれます。
困窮した家族は自分の土地さえも失ってしまう場合がありました。
しかし、いずれその土地を「あがなって」買い戻すことも可能でした。
旧約聖書の「ルツ記」にその例が記されています。
奴隷も「あがなわれる」ことがありました。
すなわち、
奴隷を自由の身にするために買い取ることができたのです。
神様はダヴィデを死から「あがなって」くださいました。
すなわち、
避けがたく見えた破滅の事態から救い出してくださったのです。
それと同様にして、
神様はイスラエルの民をエジプトから「あがない」だされました。
「出エジプト記」に記されているこの出来事の背景には、
犠牲の小羊の血が罪を帳消しにし、
人々をその罪から解放するために「あがなった」という事実がありました。
また、「詩篇」130篇8節には
「主はイスラエルをそのもろもろの不義からあがなわれます」(口語訳)
とあります。