2018年10月22日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章13〜25節 結論へ!(その6)


1章13〜25節 結論へ!(その6)

「あがない」という言葉は
新約聖書において極めて重要なキーワードになりました。
たとえば、次の一連の聖句を見てください。

「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。
神はその民を顧みてこれをあがない、
わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった」
(「ルカによる福音書」1章68〜69節、口語訳)。

「どうか、あなたがた自身に気をつけ、
また、すべての群れに気をくばっていただきたい。
聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、
あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである」
(「使徒言行録」20章28節、口語訳)。

「彼らは、価なしに、神の恵みにより、
キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである」
(「ローマの信徒への手紙」3章24節、口語訳)。

「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、
わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。
聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある」
(「ガラテアの信徒への手紙」3章13節、口語訳)

「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、
その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである」
(「エフェソの信徒への手紙」1章7節、口語訳)

「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、
手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、
一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである」
(「ヘブライの信徒への手紙」9章11〜12節、口語訳)。