これからどこへ? 15章20〜33節(その1)
パウロはこれからの自分の計画を説明します。
彼は地中海の東部の沿岸部でこれまで長い間働いてきました。
エルサレムの周辺からはじめて、
ギリシアの各地で彼は大胆に御言葉を宣べ伝えてきました。
アンティオキア、エフェソ、アテナイは、
コリントやテサロニケと同様、彼にはなじみのある都市でした。
使徒の働きの結果、
いたるところにキリスト教の信徒の群れ(教会)が生まれました。
使徒パウロは主に大都市で教会を始めました。
これらの教会が母体となって、
さらにその周囲の地域において宣教活動を展開して行きました。
福音を誰もまだ伝えていない地域で宣教伝道するのが
パウロの慣れ親しんだ伝道のやり方でした。
こうすることで、
誰からも「他の人の釣りの邪魔をしている」と言われずに済んだのです。
しかし、彼にとって
地中海東部はすでに窮屈感をおぼえる地域になってきていました。
そこで、パウロは視線を地中海の西部へと向けました。
イタリアにはすでにキリスト教の信徒たちがいたので、
自己の流儀に従ってパウロは
他の伝道者たちがすでに活動中の地域では宣教しようとしませんでした。
それに比して、
ヒスパニア(現在のスペインとポルトガルに当たる地域)や
ガリア(今のフランスにほぼ重なる地域)では、
まだ福音がまったく伝えられていない状態でした。
そこで伝道したい、とパウロの心は燃えました。
そして、神様の火は彼を前へ前へと運び進めて行きました。
おそらく彼は、
ローマの教会が経済的にも執り成しの祈りによっても
彼の伝道を支えてくれることを期待していたのでしょう。