2016年8月19日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 14章13〜23節 互いに配慮し合うようになること(その1)

互いに配慮し合うようになること 141323節(その1)

神様の大いなる裁きの日を待ちながら、
私たちは他の人々を裁くことに熱中するべきではありません。
むしろ、どうすれば互いを信仰的に躓かせないように生きて行けるか、
ということに関心を集中するべきなのです。
まさにこのことに私たちが興味を向けるように、パウロは促しています。

イエス様は、どのような食べ物もすべてそれ自体は清いものである、
と宣言なさいました(「マルコによる福音書」71419節)。
それとまったく同様に、
いかなるものもそれ自体汚れているわけではない、とパウロは言っています。
ここで、いかなるものもそれ自体は悪ではない、
と言われているのではないことに注意する必要があります。
モーセの律法が食べ物に関して設けた規定のように、
いかなるものもそれ自体は「汚れている」わけではない、
とパウロは言っているのです。
彼は、これらの問題に関して裁きを下す高い立場にあるものとして、
人間の良心と相互愛とを挙げています。


パウロによれば、人は各自、自己の良心に従うべきです。
良心が警告を発していることをあえて行うのは間違いです。
良心に反することを行うのは、
無垢この上ないと思われることでさえも罪となります。
人は各自、
自分の感じることを無視してまで他の人の例に倣う真似はやめて、
自己に課せられた信仰の戦いをしっかり戦い抜いていくべきです。
たとえば、他の人たちの飲酒の習慣は、
もしもそれに従った場合に良心の呵責を感じる場合には、
私たちにはまったく模範にはなりません。

良心の声を沈黙させてはいけません。
そのようなことをすると、本当にすっかり沈黙してしまうこともあるからです。