2016年3月9日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第10回目の質問


10回目の集まりのために

「ローマの信徒への手紙」12

 義認とそれをめぐる問題を詳細に説明した後で、
パウロは「キリスト信仰者の日常生活」へと話題を移します。
この12章の核心は
キリスト信仰者が互いに一致して共に活動することへの勧めです。

1)パウロによれば、キリスト教会は活動する一つの生命体であり、
一人一人のキリスト信仰者は皆が同じ身体を構成する成員です。
キリスト信仰者にはそれぞれ自分の使命があります。
嫉妬や劣等感がキリスト信仰者の間で
神様の御旨の実現をどれほど妨げていることか、
考えてみてください。

2)教会では
牧師の周りにすべての活動が集中してしまう傾向がしばしば見られます。
牧者の教職は教会に与えられた大きな賜物であり、大切にするべきものです。
しかし、私たち教会員が責任を分担し合って
共に活動する一つの信徒の群れとなることを学ぶためには、
どうすればよいのでしょう。

そのために自分の家庭ではいったい何をすることができますか。

定期的に家庭礼拝の時をもつことはできていますか。

神様への賛美を歌う集会をもつために
自宅を他の人たちにも開放する人はいますか。

洗礼を受けた子どものキリスト信仰者としての霊的な成長を支える
「教保」(ゴッドファーザーやゴッドマザー)としての責任を
あなたは果たしていますか。

3)愛することと神様の戒めを守ることはよく対比されます。
「愛は律法の条項に目を向けたりするはずがない」
という考えかたがその背景にあります。
しかし、
「私たちが自分の愛について責任を取るよりも
はるかにちゃんとしたやりかたで、
神様は御自分の言葉について責任を取ってくださるのではないか」
とも言えるのではないでしょうか。

4)「悪をもって悪に報いることがないように」
とパウロは苦境に立たされているキリスト信仰者たちに警告しています。
これはキリスト教大迫害の際に
「キリスト信仰者の行動原則」として提示された教えでもありました。
悪は善によって勝つべきであり、裁きは神様の御手に委ねるべきなのです。

信仰のために自宅が焼き払われたり
公的権力によって拷問を受けたりすることはない国に住んでいる
現代の私たちの場合にはそれとは別の種類の試練があります。

生活福祉が機能している社会にも
職場には諍いがあるし、隣人関係が冷えきってしまう場合があるのです。
また、家庭内にも様々な問題が生じてきます。


これらのことに身に覚えのある人は皆さんの中にどれだけいるでしょうか。