2015年12月9日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 12章 同じ身体の一部として

同じ身体の一部として

「ローマの信徒への手紙」12


ここまででパウロは義認論とそれに直接関連する諸問題の説明を終えました。
その内容を復習しましょう。
第一に彼は、べての人間が神様の御前で罪深い存在であることを
示すことに重点を置きました。
次に彼は3章以降で、信仰による義について語りました。
「教会とユダヤ人」と題された前回では、
イスラエルのかたくなな不信仰が引き起こす諸問題が取り上げられました。
それは、
「信仰を通して異邦人を義となさった神様は
御自分の民を捨ててしまわれたのか」
という問題です。

今やそれらについての説明が一通り済みました。
ここから先パウロはこれまでとはまったく異なる話題、
すなわち、キリスト信仰者の生き方についての考察に移ります。

パウロの手紙ではこの手紙に限らず
次に述べるような順序で内容が提示されることが多いです。
まず彼は、私たちが神様からどのような賜物をいただいているか、語ります。
その後でおもむろに彼は、キリスト信仰者の生き方について語り始めます。
「エフェソの信徒への手紙」や「ガラテアの信徒への手紙」でも
同じ構成をとりますが、これはただの偶然ではありません。
私たちの善い行いはそのどれもが、
神様がまず私たちを愛してくださったことが反映した結果に過ぎません。
ひとえに神様の恵みにより、キリストの死のゆえに、
私たちは罪の赦しと神様の子どもの地位をいただきます。
このことをキリスト信仰者の正しい生き方と混同してはいけません。
しかし、救いについての教えが基本からきちんと説明された後でなら、
キリストの愛がそれを受けた私たちに何をするよう諭しているか、
思い起こすのが当然です。
次の順序は大切です。
「私たちは愛します。なぜなら、キリストが私たちを愛してくださったからです」