2015年11月18日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(9〜11章)(その1)

終わりのメッセージ(9〜11章)(その1)


正直に告白しますが、
私は自分で自分の行動を自由に決める意思を
自分に許したいとは思いません。
また、救われるために努力する際に役立つような何かを
私の自由な裁量に任されることも望みません。
たとえこれらのことが可能であったとしてもです。

私がそう考えるのは、
多くの不幸な出来事と危険の只中で、
しかも多くの悪霊の攻撃に対抗して、
私は自分で自分を律して守ることができないからです。
一人の悪霊でさえ、すべての人間を合わせたよりも強大であり、
誰一人自分の力によってはそれから救われることはないからです。

しかし、私がそう考える主な理由は、
たとえ危険や不幸な出来事がなく悪霊がいなかったとしても、
私は結局のところ自由意志をもてあまして、確信をもって行動できず、
「空を打つような拳闘をする」ことになってしまうからです
(「コリントの信徒への第一の手紙」926節の表現)。

また、神様に受け入れていただけるために
どれほどたくさんの善い行いを積み重ねて行かなければならないか、
ということについては、
たとえ永遠に生き続けようとも、
私の良心はいつまでたっても確信がもてないまま
安らぎを得ることができないからです。

自分の行いによって神様の好意を獲得しようとする人々に
共通する体験でもあり、
惨めなことに私自身何年間にもわたる体験を通じて
身に染みてわかったことでもありますが、
人というものは、
どれほど非の打ち所がないような行いをしたとしても、
それが神様に喜んで受け入れていただけるものなのか、
それともまだ何か神様が要求なさっていることがあるのか、
という疑いに囚われ続けるものなのです。