2015年2月13日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 7章7〜13節 それでは、律法は悪いものなのでしょうか


それでは、律法は悪いものなのでしょうか 7713


ここでパウロは、彼の話を聞く人がしがちであろうと思われる
反論をあらかじめ取り上げています。
パウロが言うように人は律法から離れるべきであるのなら、
律法は悪いものだということになるのでしょうか。
もしも律法が悪いものだとすれば、
それならどうして神様は
そもそも人間に苦しみをもたらす律法などをお与えになったのか、
という問題です。
モーセの律法も神様からいただいたものだったからです。

パウロはこの反論を厳然と否定します。
彼は「断じてそうではない」という強い表現によって、
神様を侮蔑するこの反論の姿勢をはっきり拒みました。
律法は素晴らしいものであり善いものです。
もしも律法に従うなら、すべてはうまく行きます。
律法自体には何の落ち度もありません。
神様が人間に律法をお与えになったことも、決して間違いではありません。
律法は善いもので、神様も善い方です。
しかし、人間は善い者ではありません。
落ち度は、律法に従うことができない人間の側にあるのです。

人間は、
神様の定めてくださったあらゆる善い正しい規則に目を向けるとき、
自分自身の罪深さも見ざるをえなくなります。
神様のすべての戒めを守ることは、人間にはどうやっても不可能です。
聖なる者たらんと努力を重ねれば重ねるほど、
それに応じて、
律法は努力を続けるその人の罪深さをより明瞭に示してきます。
いつまで経っても人間は、
神様が意図された「本来の人間の姿」とはかけ離れた状態のままなのです。
律法が私たちに示してくれることは、
すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている
(「ローマの信徒への手紙」323節)、
という御言葉に集約できるでしょう。


律法は悪いものではなく、善いものなのです。
問題はそれを守ることができない私たち人間の側にあります。
こうして、それ自体は善いものである律法が
私たち人間に死をもたらすことになってしまったのです。
ところが、それと同時に神様の御旨も実現することになりました。
それは、
律法のおかげで私たちは自分が罪深い存在であることが
ようやくわかるようになった、
ということです。

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