2014年11月12日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 6章1〜4節 聖めの基としての洗礼(その4)


聖めの基としての洗礼 614節(その4) 

ここまで述べてきた洗礼についての教えでは、
人が自分の罪深さを悲しまずに好き勝手に生きるのを
容認してしまうことになりはしまいか、
という危惧感を抱く人たちもいます。
もしも洗礼を受けている者は誰でも皆救われるというのなら、
人々は神様のことも、天からの恵みである洗礼のことも、
気に留めなくなるのではないか、
というのです。


パウロはここで、彼の伝える教えがどのような帰結をもたらすか、
細かく計算したり、あれこれ思い悩んだりはしません。
パウロは、
罪の赦しの恵みをこの上なく近づきやすい形で伝えているので、
誰であれ罪人は、
この恵みを自分に当てはめて受け入れる勇気がもてるようになっています。

しばしばパウロは「ローマの信徒への手紙」の中で、
自分の罪を悲しまない者や、間違った確信を抱いている者たちの
髪の毛を引っ張っては懲らしめていますが、
今この洗礼についての箇所では、とりわけそれが顕著になっています。

洗礼は、
私たちに罪の生活を続ける許可を与えるものでは、
全くありません。

パウロがここで洗礼を全面に打ち出すのは、
キリスト教徒なら自由に罪を行ってもよいとする
間違った教えを粉砕するために他なりません。

私たちがキリストの死の中へと洗礼を受けているのは、
私たちがキリストと共に新しい生き方をするためなのです。
私たちを罪から解放するために、キリストは十字架で死なれたのです。

それゆえ、 
あたかも何も起こらなかったかのように、
私たちが以前と変わらない罪の生活を続けることは、
許されないのです。

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