「光は暗闇の中で輝いているのに、暗闇はそれを理解しませんでした」
12章37~50節
この章のおわりは、
受苦の一連の出来事が始まる前までの、
イエス様のこの世における活動の概要をまとめたもの
とみることができます。
「ヨハネによる福音書」の冒頭のロゴス賛歌が今や完全に実現したのです。
イエス様はこの「世の光」でしたが、
暗闇の支配下にある人々には
この光を受け入れる用意ができていませんでした。
こうして、「イザヤ書」(53章1節、6章9~10節)の預言が成就しました。
神様は御自分の民をかたくなにし、霊的な意味で盲目にしたので、
彼らはキリストの栄光を見ることができなくなりました。
まさにこの盲目さのゆえに、
イエス様は十字架にかけられることになったのです。
もちろん、キリストの栄光を理解した人たちもいましたし、
その中には支配者層の人々さえ含まれていました。
しかし、彼らは臆し、
無実の人に下される有罪判決を阻止すべく
行動に移る勇気がありませんでした。
この章の最後の数節は、
大勢の聴衆に向けたイエス様の最後の語りかけでした。
それはまた、皆への強い嘆願でもありました。
イエス様は天の御父様が遣わされた世の光であり、
罪人たちの唯一の救い主です。
イエス様と結びつくことが、
罪人である人間が永遠の滅びを免れるための唯一可能な道なのです。
イエス様を裁き主とみなす必要はありません。
神様の真理が各人を裁くからです。
そのかわり、イエス様は
罪や死や悪魔から罪人を解放する救い主として、かけがえのないお方です。
人間にとって、神様の栄光の中に入る道は、
この道をおいて他には存在しないからです。