死について語るイエス様 12章20~36節(その2)
27~30節は、
ゲッセマネの園でのイエス様の祈りの戦いについて
「ヨハネによる福音書」が語っているものだ、とみなすことができます。
この箇所では、
死を直前にして震えつつも、御父から与えられた道から退かない
神様の御子が祈り戦っている様子が描写されているからです。
イエス様の受洗の出来事(「マルコによる福音書」1章9~11節)も、
このシーンを読むときに思い浮かぶ箇所だと思われます。
もうひとつ想起されるのは、「マルコによる福音書」8章の
フィリポ・カイザリヤへ向かう道すがらでの出来事です。
そこでは、ペテロの立派な信仰告白を受けて、
イエス様は御自分の道がこれから十字架と受苦へと下降していくことを
明らかになさいました。
「マルコによる福音書」と同じく、「ヨハネによる福音書」にも、
この箇所にはイエス様から弟子たちへの忠告が記されています。
すなわち、イエス様に属する人々の道は十字架と苦しみが伴う道だが、
この道のみがキリストに従う唯一可能な道である、ということです。
この道を通してのみ、
私たちは天の父なる神様の御許へと行くことができます。
短い戦いの後で、イエス様の道が明示されました。
神様が戦いに加わって、悪魔を支配の座から引き落とします。
これは恐ろしい展開を経るものでした。
イエス様は「地から挙げられ」、十字架にかけられ、
人々皆の侮辱の対象となります。
しかし、これによって、
イエス様は人々を皆、御許へと引き寄せることになります。
各人の受ける裁きは、
その人が十字架にかけられた主との関係がどのようなものか
によって決定されます。
主の中に命があるので、
主との絆がなければ人は皆死ぬことになります。
たんなる好奇心から群がってきた不信仰な人々は、
イエス様に無理解な質問を投げかけます。
それはイエス様のこれからの戦いに黒い影を落とすものでした。