2010年6月18日金曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 6章1~4節

 
         
完全武装

エフェソの信徒への手紙 第6章

この第6章では第5章にはじまる「家訓」が続きます。今回指示を受けるのは、まず子供と父親であり、それから奴隷と主人です。
 
6章1~4節 第四戒を大切にするために
  
子供たちが行うべきことを彼らに勧めるときに、「エフェソの信徒への手紙」は単純な指示を与え、第四戒を引用します。
主がイスラエルの民に与えてくださった土地への言及(出エジプト記20章12節にはあります)は、今回の引用では省かれています。
このように、第四戒は小アジアの異邦人にも放牧の民であるヘブライ人にも同じようによくあてはまる形で提示されています。
         
この第四戒はもともとは、小さい子供が言うことを聞かないで親の手を焼かせることを禁じていたわけではなく、大人になった子供が年老いた親の面倒を見ることを勧めるものだった、ということを思い起こしておくべきでしょう。
しかし、「エフェソの信徒への手紙」のこの箇所は、あきらかに、家庭にいるまだ若い子供と彼らの生き方について語っています。
         
興味深く今でもなおとりわけ有益な指示は、父親は子供を激しく怒らせることなく彼らを教育しなければならない、ということです。
聖書学のユッカ・トゥレーン教授がコメンタリーで説明しているように、この指示ももともとは非常に具体的な教育方法のあらわれでした。
すなわち、クリスチャンは自分の子供をごみために投げ込んだりはしてはいけなかったのです。
異邦人たちは実際にそういったこともしていました。
父親の義務は、まずもって、子供を家で育て、彼らが心身ともに健康に生活できるように配慮することであり、そしてそのあとで、しつけとか教育とかの話になるのです。
「あなたがたの子供たちを大人になるまで育て、主の御心に従ってしつけ、諭しなさい」ということです。
        
このように、クリスチャンの子供の教育では、十分に厳しいしつけがなされなければなりません。
しかし、子供の中に怒りが生まれるほどしつけが厳しすぎてもいけません。
私たちはどうすればこの指示に従うことができるのでしょうか。
クリスチャンにふさわしい子供の教育のあり方について、十分に話し合う必要があるでしょう。