霊的な戦い
「テモテへの第二の手紙」2章22〜26節
「そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。
そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、
義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。」
(「テモテへの第二の手紙」2章22節、口語訳)
若い指導者たちには誰にも反論を許さないような
情熱的すぎる教会運営を行なってしまう危険がつきまといます。
しかし、大きな船である教会の航路変更には
多大の時間を要することを忘れるべきではありません。
「愚かで無知な論議をやめなさい。
それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。
主の僕たる者は争ってはならない。
だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、」
(「テモテへの第二の手紙」2章23〜24節、口語訳)
2章16節と同様に上掲の箇所は
無意味な論議をやめるようにという警告です
(「テモテへの第一の手紙」1章4節および6章4節、
「テトスへの手紙」3章9節)。
教会の真の変化は教会員たちを忍耐強く教育することから始まります。
論争においては、
たとえ名目上は相手に勝利したとしても
実質的には敗北してしまっている場合があります。
しかし、相手側が正しい教えに聴き入るようにできるならば、
相手が本質的な意味で真に変化する場合も起こりえます。
「反対する者を柔和な心で教え導くべきである。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、」
(「テモテへの第二の手紙」2章25節、口語訳)
「柔和な心」については
「コリントの信徒への第二の手紙」10章1節、
「ガラテアの信徒への手紙」6章1節、
「エフェソの信徒への手紙」4章2節、
「コロサイの信徒への手紙」3章12節も参考になります。
柔和な心は聖霊様の賜る信仰の実のひとつです
(「ガラテアの信徒への手紙」5章23節)。
「一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、
目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。」
(「テモテへの第二の手紙」2章26節、口語訳)
この節は「霊的な戦い」を描いています。
私たちは「真の敵」が誰なのか明確にしておくべきです。
そして実は、それは異端者ではなく悪魔なのです
(「エフェソの信徒への手紙」6章10〜20節)。
私たちは自力では悪魔と戦うことができません。
それはキリストの助けによってのみ可能になります。