さまざまな使命
「テモテへの第二の手紙」2章20〜21節
「大きな家には、
金や銀の器ばかりではなく、
木や土の器もあり、
そして、あるものは尊いことに用いられ、
あるものは卑しいことに用いられる。
もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、
彼は尊いきよめられた器となって、
主人に役立つものとなり、
すべての良いわざに間に合うようになる。」
(「テモテへの第二の手紙」2章20〜21節、口語訳)
神様は
ダマスコへと向かうサウロ(後にパウロと改名)を立ち止まらせて、
異邦人たちに福音を宣べ伝えるために選ばれた「器」として召命なさいました
(「使徒言行録」9章15節)。
この「器」は上掲の箇所での「器」と同じ単語
(ギリシア語では「スケウオス」)であり
「武器」という意味も持っています。
むしろ、ここでは後者の意味のほうが妥当なのかもしれません。
もちろんパウロは本来の「器」という意味でもこの単語を用いています。
神様は同じ粘土からさまざまな「器」を作る権能を持っておられるのです
(「ローマの信徒への手紙」9章21節)。
「卑しい器」も「尊いきよめられた器」になることができる
と上掲の箇所が述べていることに注目しましょう。
粘土は結局のところ粘土のままであり、
力と輝きは神様からくるものです
(「コリントの信徒への第二の手紙」4章7節)。
パウロは
キリスト信仰者を迫害する者から異邦人の使徒へと変えられました。
すべては神様の恵みによるものであった
とパウロは述懐しています。
「しかし、神の恵みによって、
わたしは今日あるを得ているのである。
そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。
しかしそれは、
わたし自身ではなく、
わたしと共にあった神の恵みである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」15章10節、口語訳)。