真理の御言葉の教師(その2)
「テモテへの第二の手紙」2章14〜19節
「俗悪なむだ話を避けなさい。
それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、
彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。
その中にはヒメナオとピレトとがいる。」
(「テモテへの第二の手紙」2章16〜17節、口語訳)
異端の教師たちは「がん」のような存在です。
彼らの活動を抑止しないかぎり、
腐敗がどんどん蔓延していき、
最終的には命取りになります。
ヒメナオについてはすでに「テモテへの第一の手紙」1章20節にも
名前が挙げられています。
ヒメナオもピレトも他のことについては何も知られていない者たちです。
「彼らは真理からはずれ、
復活はすでに済んでしまったと言い、
そして、ある人々の信仰をくつがえしている。」
(「テモテへの第二の手紙」2章18節、口語訳)
異端とは、
真理から外れてさまよい、的外れな生きかたをすることです
(「テモテへの第一の手紙」6章21節)。
異端に陥った者たちは
彼らに追従する人々のことも異端に巻き込んでいきます。
例えば、
グノーシス主義者ヴァレンティノスは
異端に陥っていたにもかかわらず、
ローマ教会の主教に選出される寸前まで行きました。
140年代にマルキオンは教会の大多数を異端に追い込みました。
300年代にアリウス派は
正しい教えを絶滅させかけるほどの脅威となりました。
遺憾ながら、
教会史では教会が異端に惑わされかけた事例がたくさんあります。
上節にあるように、異端の教師たちは「復活」を否定しました。
おそらく彼らはキリストの復活そのものを否定したのではなく、
キリスト信仰者の復活はすでに受洗時に起きたのだから
他の種類の復活はもう起きないというように教えたのでしょう。
このような教えは
パウロの洗礼(ギリシア語で「バプテスマ」)の教えに対する
誤解によるものだと思われます。
例えば、パウロは次のように書いています
(「ローマの信徒への手紙」6章3〜4節にも同様の教えがあります)。
「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、
同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、
彼と共によみがえらされたのである。」
(「コロサイの信徒への手紙」2章12節、口語訳)。
異端の教えがいかに猛威を振るおうとも
神様の築かれた土台は決して揺るがないことを次の節は教えています。
「しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、
それに次の句が証印として、しるされている。
「主は自分の者たちを知る」。
また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。」
(「テモテへの第二の手紙」2章19節、口語訳)
たとえエフェソのキリスト教徒の大多数が
正しい信仰を捨てたとしても(1章15節)、
絶望的な状況になったわけではありません。
神様は教会の主、真の主人、建築者であられるため、
人間が神様の御業を完全に無効にすることは決してできないからです。
「それゆえ、主なる神はこう言われる、
「見よ、わたしはシオンに
一つの石をすえて基とした。
これは試みを経た石、
堅くすえた尊い隅の石である。
『信ずる者はあわてることはない』。」
(「イザヤ書」28章16節、口語訳)。
主は「主のもの」たち(「信ずる者」)のことをよくご存知です
(「民数記」16章5節、
「マタイによる福音書」7章23節、
「コリントの信徒への第一の手紙」8章3節および14章38節)。
「主のもの」たちは不義から離れなければなりません
(「イザヤ書」52章11節)。
彼らは神様に由来するものを大切にしようとしますが、
神様の敵対者に由来するものに束縛されることは望みません。