2024年7月16日火曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」3章14〜16節 信仰の奥義(その1)

 信仰の奥義(その1)

「テモテへの第一の手紙」3章14〜16節

 

「万一わたしが遅れる場合には、

神の家でいかに生活すべきかを、

あなたに知ってもらいたいからである。

神の家というのは、生ける神の教会のことであって、

それは真理の柱、真理の基礎なのである。」

(「テモテへの第一の手紙」3章15節、口語訳)

 

この節は牧会書簡の目指すものを標語的に表現しています。

 

古典古代の手紙ではほとんどの場合、

受け取り手のところにすぐにでも行きたいというような、

手紙の送り手の希望が書き添えられています(3章14節)。

エフェソへの旅が実現しない夢のままで終わるか、

あるいは少なくとも計画が当初の予定より遅れるかもしれない

と思っていたにもかかわらず(4章15節)、

パウロはエフェソに行くという希望を

まだあきらめてはいませんでした(4章13節)。

 

「神の家」の「家」とはギリシア語で「オイコス」といい

「部屋」あるいは「部屋(すなわち家)に住んでいる家族」を意味しています。

ですから「神の家」は「神の家族」と訳することもできます

(「ガラテアの信徒への手紙」3章26〜29節も参考になります)。

 

パウロは教会を「神の家」と呼んでいます。

この建物を構成しているのはキリスト信仰者たちです

(「コリントの信徒への第一の手紙」6章19〜20節、

「エフェソの信徒への手紙」2章19〜22節)。

 

教会は世俗的な組織ではなく神様の御業であることを

私たちは覚えておく必要があります。

 

「生ける神」(3章15節)の反対の言葉は「死んだ神」すなわち偶像です。

預言者イザヤは偶像製作者たちを嘲っています。

彼らの作った偶像は聞くことも見ることもできないからです

(「イザヤ書」44章9〜20節)。

それに対して聖書の神様は私たちの祈りを聴いて応答なさる活ける神です

(「ヨシュア記」3章10節、

「使徒言行録」14章15節、

「コリントの信徒への第二の手紙」6章16節、

「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章9節)。

 

「柱」(3章15節)は当時のエフェソの人々に

アルテミス神殿の18メートルもある百本の柱を

思い起こさせたのではないでしょうか。

しかし福音こそが教会を築き上げる土台や基礎

(「エフェソの信徒への手紙」2章20節)であって、

教会は「真理の柱」(3章15節)なのです。

神様は教会をこの地上で御自身の真理が見出される場所となさいました。

教会は「真理がどういうものであるべきか」に定義を与える場所ではなく、

神様からいただいたものをしっかりと受け継いで宣べ伝えていく場所なのです。