2023年4月28日金曜日

「ハバクク書」ガイドブック 「ハバクク書」2章5〜20節  バビロニアを嘲る歌(その1)

 バビロニアを嘲る歌 

「ハバクク書」2章5〜20節(その1) 

「また、酒は欺くものだ。

高ぶる者は定まりがない。

彼の欲は陰府のように広い。

彼は死のようであって、飽くことなく、

万国をおのれに集め、

万民をおのれのものとしてつどわせる」。

これらは皆ことわざをもって彼をあざけり、

あざけりのなぞをもって彼をあざ笑わないだろうか。

すなわち言う、

「わざわいなるかな、

おのれに属さないものを増し加える者よ。

いつまでこのようであろうか。

質物でおのれを重くする者よ」。

あなたの負債者は、にわかに興らないであろうか。

あなたを激しくゆすぶる者は目ざめないであろうか。

その時あなたは彼らにかすめられる。

あなたは多くの国民をかすめたゆえ、

そのもろもろの民の残れる者は皆あなたをかすめる。

これは人の血を流し、

国と町と、その中に住むすべての者に

暴虐を行ったからである。

わざわいなるかな、

災の手を免れるために高い所に巣を構えようと、

おのが家のために不義の利を取る者よ。

あなたは事をはかって自分の家に恥を招き、

多くの民を滅ぼして、自分の生命を失った。

石は石がきから叫び、

梁は建物からこれに答えるからである。

わざわいなるかな、

血をもって町を建て、

悪をもって町を築く者よ。

見よ、もろもろの民は火のために労し、

もろもろの国びとはむなしい事のために疲れる。

これは万軍の主から出る言葉ではないか。

海が水でおおわれているように、

地は主の栄光の知識で満たされるからである。

わざわいなるかな、

その隣り人に怒りの杯を飲ませて、これを酔わせ、

彼らの隠し所を見ようとする者よ。

あなたは誉の代りに恥に飽き、

あなたもまた飲んでよろめけ。

主の右の手の杯は、あなたに巡り来る。

恥はあなたの誉に代る。

あなたがレバノンになした暴虐は、あなたを倒し、

獣のような滅亡は、あなたを恐れさせる。

これは人の血を流し、

国と町と、町の中に住むすべての者に、

暴虐を行ったからである。

刻める像、鋳像および偽りを教える者は、

その作者がこれを刻んだとてなんの益があろうか。

その作者が物言わぬ偶像を造って、

その造ったものに頼んでみても、

なんの益があろうか。

わざわいなるかな、

木に向かって、さめよと言い、

物言わぬ石に向かって、起きよと言う者よ。

これは黙示を与え得ようか。

見よ、これは金銀をきせたもので、

その中には命の息は少しもない。

しかし、主はその聖なる宮にいます、

全地はそのみ前に沈黙せよ。」

(「ハバクク書」2章5〜20節、口語訳)

 

この箇所は導入部とバビロニアに対する五つの災いの託宣を含んでいます。

ついにバビロニアの悪行に裁きが下されるのです。

1)貪欲(6節)

2)周辺諸民族からの搾取に基づく建築事業の推進(9節)

3)悪行(12節)

4)暴虐(15節)

5)偶像礼拝(19節)

(19節で「わざわいなるかな」という表現が

18〜20節の中心部に置かれていることにも注目しましょう。)

 

2章5節は口語訳では「また、酒は欺くものだ。」で始まりますが、

クムラン洞窟から見つかった「ハバクク書」版に従って

「富」と訳される場合もあります。

たしかに後者のほうが文脈的には自然に見える表現ではあります。

しかし、多くの国語の翻訳において旧約聖書の底本になっている

Biblia Hebraica Stuttgartensiaでは「酒」のほうを本文に採用しています

 

かつてあるフィンランド人神学者は

「この世の信仰告白は短いたった一語からなる。

それは「飽くことなく」(2章5節)という言葉だ」

と指摘したことがあります。

これについては「箴言」30章15〜16節や

「エゼキエル書」16章28〜29節などが参考になります。

 

いわゆる先進国では

「経済的な成長はこれからもずっと続いていくはずである」

という不確かな希望に信頼することが

一般の人々の間での暗黙の了解になっているように見えます。

しかし世界全体を見渡してみると、

実際にはこのような考えかたが

ただの思い込みにすぎないものであるのは明らかです。

 

エルサレムがまだ陥落していなかった預言者ハバククの時代に

バビロニアがちょうど勢力を拡大しつつあったことを

ここで思い起こしましょう。

しかし、そのバビロニアの覇権も約70年ほど続いたにすぎません。

この世の栄華は儚いものです。