2022年5月11日水曜日

「ヤコブの手紙」ガイドブック 自分が考えていることを不適切に口に出さないために、 自分が言うべきことをよく吟味しなさい「ヤコブの手紙」3章1〜2節(その1)

 言葉の使用による罪と祝福

「ヤコブの手紙」3章

 

自分が考えていることを不適切に口に出さないために、

自分が言うべきことをよく吟味しなさい

「ヤコブの手紙」3章1〜2節(その1)

 

「ヤコブの手紙」の1〜2章の大部分の内容は「奨励」でした。

それに対して

3章から手紙の終わりまでの内容では「警告」に重点が置かれています。

ヤコブは罪のない生活を送ることが人間に可能であるなどとは

夢にも思っていません。

このことを念のためにもう一度指摘しておきたいと思います。

というのは

「ヤコブは人間が罪のない生活を送ることが可能であると考えていた」

という誤解に基づく主張が今でも時おり見受けられるからです。

 

「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。

もし、言葉の上であやまちのない人があれば、

そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。」

(「ヤコブの手紙」3章2節、口語訳)

 

このようにヤコブは彼自身も含めたすべての人間が

多くの罪に陥ってしまうものであることを認めています。

 

「わたしの兄弟たちよ。

あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。

わたしたち教師が、他の人たちよりも、

もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。」

(「ヤコブの手紙」3章1節、口語訳)

 

ここでヤコブが呼びかけている「あなたがた」が

聖書の教師(すなわち説教者)という教会の職務のために選ばれた人々なのか、

それともより一般的に教会を指導する立場にある人々なのか

はっきりしません。

前者のケースすなわち教会の説教職について新約聖書は次のように述べています。

 

「さて、アンテオケにある教会には、

バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、

クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、

およびサウロなどの預言者や教師がいた。」

(「使徒言行録」13章1節、口語訳)

 

「そして、神は教会の中で、人々を立てて、

第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、

次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、

また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」12章28節、口語訳)

 

「御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。」

(「ガラテアの信徒への手紙」6章6節、口語訳)

 

「よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、

二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。」

(「テモテへの第一の手紙」5章17節、口語訳)

 

上述の「ヤコブの手紙」3章1節にある、

教会の指導者が受けることになる裁き

(これは「責任」と言い換えてもよいかもしれません)

が他の人々が受ける裁きよりも厳しいものになるという考えかたは

聖書の他の箇所にも見られます。

例えば旧約聖書の預言者エゼキエルは

人々の信仰生活に心配りをする立場にある者たち

(教会で言えば牧者にあたる人々)の責任の重大さについて語っています

(「エゼキエル書」3章17〜21節、33章7〜9節)。

それと同じようにパウロも自分自身について次のように述べています。

 

「すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。

そうしないと、

ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章27節、口語訳)

 

当然ながらイエス様の次の言葉も忘れるべきではありません。

 

「しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。

多く与えられた者からは多く求められ、

多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。」

(「ルカによる福音書」9章27節、口語訳)