「ざんげの詩篇」
「ざんげの詩篇」という名で呼ばれる詩篇の一群があり、
中世以来の伝統に基づいて他の「詩篇」から区別されています。
キリスト信仰者たちにとって「ざんげの詩篇」は
時代を超えてとりわけ大切な意味を持つ詩篇たちでした。
詩篇につけられている番号でいうと
6、32、38、51、102、130、143篇が
「ざんげの詩篇」に分類されています。
ルターは詩篇全体をこよなく愛していましたが、
とりわけこれら一連の詩篇には特別な愛着をもっていました。
現代の詩篇研究のもたらした最良の成果のひとつとして
「個々の詩篇にはどのような内容的特徴があるか」という問題設定があります。
この観点による研究では、
上述の「ざんげの詩篇」が最初からひとつの固定したまとまりとして
扱われることはありません。
たとえば、宗教改革者マルティン・ルターも
「詩篇」32篇が内容的には「ざんげの詩篇」ではなく
「教えの詩篇」であることに当時すでに気づいていました。
現代の詩篇研究では、広大で多彩な一群の詩篇が
「個人の嘆きの詩篇」として分類されています。
このグループには今まで伝統的に「ざんげの詩篇」と呼ばれてきた
ほとんどすべての詩篇が含まれます。
これらの詩篇からは、人間に痛みや苦しみを引き起こす多くの要因の中でも
とりわけ二つの事柄が浮かび上がってきます。
それは「敵」と「病気」です。
また、この詩篇講義で取り上げる幾つかの詩篇では、
痛みや苦しみの要因として「罪」が挙げられています。
ですから、これらの詩篇は
まさに「ざんげの詩篇」という呼称がふさわしいものと言えるでしょう。
もちろん私たちは呼称にそれほど拘泥する必要はありません。