「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について
苦しみの洪水の中で 詩篇6篇1〜8節(その1)
「詩篇」6篇
6:1 聖歌隊の指揮者によってシェミニテにあわせ琴をもってうたわせたダビデの歌
6:2 主よ、あなたの怒りをもって、わたしを責めず、
あなたの激しい怒りをもって、
わたしを懲しめないでください。
6:3 主よ、わたしをあわれんでください。
わたしは弱り衰えています。
主よ、わたしをいやしてください。
わたしの骨は悩み苦しんでいます。
6:4 わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。
主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。
6:5 主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。
あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。
6:6 死においては、あなたを覚えるものはなく、
陰府においては、だれがあなたを
ほめたたえることができましょうか。
6:7 わたしは嘆きによって疲れ、
夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、
わたしのしとねをぬらした。
6:8 わたしの目は憂いによって衰え、
もろもろのあだのゆえに弱くなった。
6:9 すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。
主はわたしの泣く声を聞かれた。
6:10 主はわたしの願いを聞かれた。
主はわたしの祈をうけられる。
6:11 わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、
彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。
(口語訳)
苦しみの洪水の中で 6章1〜8節
この「詩篇」は典型的な「個人の嘆きの詩篇」です。
1節に神様の怒りについての記述がありますが、
それでもこれは本来の意味での「ざんげの詩篇」ではありません。
詩篇朗唱者は「自分が神様の怒りを受けるのは当然であった」と告白します。
しかしその一方で、彼はその怒りから赦免されることを祈り求めています。
このように始めの部分は、
人がうろたえながら苦しみの只中で助けを求めて
叫び声を上げる様子を描写しています。
苦しみの要因が何なのかは明示されていませんが、
この種の「詩篇」において一般的な苦しみの要因である
「敵」と「身体的な苦痛」とが関係しているように思われます。
詩人は死に瀕する危険のうちにあって苦しみ嘆き憔悴し切っています。
そして「どうか手遅れにならないうちに私を助けてください」
という心の叫びが神様に聴いていただけるように願い求めています。