2018年2月7日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック はじめに(その2)

 はじめに(その2)


「フィレモンへの手紙」は、
主人のもとに帰ろうとしている奴隷にパウロが携えさせた「推薦状」です。
この手紙のなかでパウロはフィレモンに、
オネシモを「愛すべき信仰の兄弟」として扱うように懇請しています。
パウロがこの手紙を獄中から書いたのは確実です。
しかし、手紙の執筆された都市がどこであるかは、はっきりしません。
パウロは少なくともエフェソ、カイザリア、ローマという諸都市で
投獄されたことがあるからです。
この手紙はローマから書き送られたものである、
というのが伝統的な解釈です。
しかし、手紙の執筆された可能性が高い都市はエフェソだと推定されます。
その理由について、これから述べてみます。

フィレモンがどこに住んでいたのかを確実に知ることはできません。
それでも、
フィレモンがコロサイに居住した時期があったらしいことは推測できます。
パウロの書いた「コロサイの信徒への手紙」には
「オネシモ」という名のキリスト信仰者が登場し、
コロサイの住人であったことが記されています
(「コロサイの信徒への手紙」4章9節)。
これは、オネシモが仕えていた主人フィレモンが、
オネシモと同じくコロサイに住んでいたことの証拠であるとも考えられます。
ただし、これもまったく確実とは言えません。
手紙が書かれた当時の世界において
「オネシモ」というのはかなり一般的な名前だったからです。
ですから、「コロサイの信徒への手紙」に登場するオネシモが
「フィレモンへの手紙」でのオネシモとは
まったく別の人物である可能性も残っています。

しかし、もしもフィレモンがコロサイに住んでいたのであれば、
パウロがこの手紙を書いて送ったのは
エフェソからであった可能性が高いと言えます。
オネシモがコロサイから出発して、
たとえばローマまで逃避行を続けたとは考えにくいからです。
コロサイからエフェソまでなら、小アジアの陸路を歩いて行けばたどりつけます。
ところが、コロサイからローマまでとなると長大な船旅が必要になります。
そして、主人の許可なく放浪している奴隷が
このような大旅行を決行するのは容易ではなかったはずです。