2018年2月12日月曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック はじめに(その3)

はじめに(その3)

「オネシモ」という名の人物は、この手紙よりも少し後の時代に書かれた
キリスト教文献にも登場します。
アンティオキアの教会長(ビショップ)であったイグナティオスは、
西暦約100年頃に書いた手紙において、
エフェソの教会長(ビショップ)の名前が「オネシモ」であったと記しています。
はたしてこの人物がパウロのいた牢獄でキリスト信仰者になった奴隷と
同一人物であるかどうか、私たちは知りません。
しかし、これはありえないこととも言えません。
「主人のもとを逃げ出した奴隷が後に教会の責任者になった」
というこの仮説は、年代的には整合しています。
パウロがフィレモンにこの手紙を書き送ったのは
西暦約60年頃と推定されています。
もしもその頃のオネシモが20歳くらいであったとするならば、
西暦100年頃の彼は60歳前後だったことになります。
そして、これは教会長としては少しもおかしくない年齢です。


「フィレモンへの手紙」は私的書簡の体裁をとっています。
しかし、一方でこの手紙は教会全体宛の公開書簡であるとも言えます。
さらに、この手紙は現代の私たちが読むことをも
意図して書かれたものでもあります。
そうであるからこそ、この手紙は聖書の中に収められているのです。
この手紙には、神様が私たちにぜひとも伝えたい
多くの大切なメッセージが記されているのです。