2017年10月4日水曜日

アタナシウス信条(ラテン語版から訳出)(その1)

アタナシウス信条[1](ラテン語版から訳出)(その1)

1
救われたいと願う者は皆、
何よりもまず、公同の信仰[2]を保つことが必要です。

2
誰であれ、もしもこの信仰を、
健全で傷つけられていないものとして[3]守らないならば、
その人は疑いもなく、永遠に滅ぶことになります。

3
公同の信仰とは次のものです。
すなわち、
一なる神様を三位において[4]また三位を一体においてあがめ、

4
位格たち[5]を混同せず、本質[6]を分離しない、
というものです。

5
父の位格と子の位格と聖霊の位格は別々のものです。

6
しかし、
父と子と聖霊の神性[7]は一であり、
栄光は等質であり、
尊厳[8]は永遠に共存します[9]

7
父がおられるのと同じく、
子がおられ、また聖霊もおられます。[10]

8
父は造られたものではなく[11]
子は造られたものではなく、
聖霊は造られたものではありません。

9
父は計り知れず[12]子は計り知れず、聖霊は計り知れません。

10
父は永遠であり、子は永遠であり、聖霊は永遠です。

11
しかも、三なる永遠ではなくて、一なる永遠です。

12
それは、
三なる造られたものではないものや、
三なる計り知れないものがあるのではなく、
一なる造られたものではないものや、
一なる計り知れないものがあるのです。

13
同様に、
父は全能であり[13]子は全能であり、聖霊は全能です。

14
しかも、
三なる全能者がおられるのではなく、
一なる全能者がおられるのです。

15
このように、
父は神様であり、子は神様であり、聖霊は神様です。

16
しかも、
三なる神様ではなく、一なる神様です。

17
このように、
父は主[14]であり、子は主であり、聖霊は主です。

18
しかも、
三なる主ではなく、一なる主です。

19
なぜなら、
キリスト教の真理によって、
それぞれの位格を個別に、
神様であり主である、と告白することを
私たちは強く求められており[15]
このように、
三なる神様や三なる主について語ることを、
私たちは公同の宗教によって[16]禁じられているからです。



[1] Die Bekenntnis-Schriften der evangelisch-lutherischen Kirche
1998  Herausgegeben im Gedenkjahr der Augsburgischen Konfession 1930. 12. Aufl., 47. -49. Tsd.
Göttingen : Vandenhoeck & Ruprecht. s.28. Symbolum Athanasii contra Arianos scriptum.
[2] ”catholicam fidem”
[3] ”integram inviolatamque”
[4] ”in trinitate”
[5] ”personas”
[6] ”substantiam”
[7] ”divinitas”
[8] ”maiestas”
[9] ”coaeterna”
[10] ”Qualis pater, talis filius, talis et spiritus sanctus”
[11] ”increatus”
[12] ”immensus”
[13] ”omnipotens”
[14] ”Dominus”
[15] ”compellimur”(直訳は「私たちは強いられている」)
[16] ”catholica religione”