2017年3月22日水曜日

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その3)

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その3)

ヴォルフェリヌス事件(下)

ルターによれば、聖礼典は
私たち人間には答えることが不可能であるような「疑問」が
まったく生じないようなやり方で施行し実行しなければならないものです。
これは具体的には、
聖餐式で祝福されたパンとぶどう酒のすべてを聖餐の場で食し、
さらにその後で聖餐の杯をきれいに濯ぐことを意味していました。

ルターによる聖餐式の定義は明確です。
「私たちは聖餐式のを次のように定義します。
それは主の祈りのはじめから、
皆が聖餐式に参加し、杯から飲み、パンを食べ、
聖餐台を離れるまで続きます。
このようにして私たちは
際限のない論争によってむやみに傷つけられることから守られ、
自由でいられるでしょう。」

祝福されたパンやぶどう酒が聖餐式の終わった後にも残った場合には、
聖餐式を施行した者たちが一緒にそれを食し飲まなければなりません。
一人が残りのぶどう酒をすべて飲み干すような真似は避けるべきです。
それは、
聖礼典を軽々しく扱っているという印象を誰にも与えないためです。
また、聖餐式で祝福されたパンやぶどう酒の一部を
病気の人や死を迎えようとしている人たちに分けるために運んでいくことは
許されています。


一方で、ルターは
当時のカトリック教会の異端的な聖餐の教えに対しても
厳しい境界線を引いています。
すなわち、聖餐のパンとぶどう酒を
礼拝以外の場所で「崇拝の対象」にしてはいけないのです。

このように言うと、
ルターは今まで述べてきたこととまったく矛盾する言い方をしているように
聞こえるかもしれません。

ここで覚えておくべきことは、
ルターはふたつの戦線で同時に戦っていたということです。
一方にはローマ法王派がおり、
また他方にはツヴィングリ派がいました。
これらの間にあってルターは、
私たち人間が理性では理解できない「主の聖餐」に対する
真の敬意をもった接し方を力強く擁護したのです。

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