2017年3月15日水曜日

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その2)

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その2)

ヴォルフェリヌス事件(上)

今まで述べてきたベッセラーの事件で問題となったのは、
「聖餐式の施行の最中」における聖餐のパンとぶどう酒の取り扱い方でした。
「聖餐式の施行後」における聖餐のパンとぶどう酒をめぐる問題についての
ルターの対応は、次に述べるヴォルフェリヌスの事件から知ることができます。

このヴォルフェリヌスという牧師は、
ルターの生れ故郷であるアイスレーベンで争いを巻き起こしました。
彼によれば、祝福されたパンとぶどう酒は
「聖餐式の終了した後」ではたんなるパンとぶどう酒にすぎません。
「聖餐式の執り行われる以外の時には、
祝福されたパンとぶどう酒はサクラメント(聖礼典)ではなく、
たんなるエレメント(物質)である。
聖餐式の後に残ったぶどう酒やパン、
洗礼式に用いられた後に残った水が
それらの式の執り行われる以外の時でも聖礼典であると主張するのは、
物事を理路整然と考えない異端の教えである」、
と彼は言いました。

ルターはこの問題にすぐに反応しました(Diestelmann 1980, 32)。
聖礼典はエレメント(物質)の中にいつ存在しなくなるか、
ということに思いを巡らしているうちに
どれほど危険な問題を惹起してしまったかについて、
ヴォルフェリヌスが自覚していなかったのはたしかです。
「自分はツヴィングリの支持者であって、聖礼典を軽んじる者である」、
という深刻な疑いを彼は他の人々に抱かせてしまったのです。


ヴォルフェリヌスがヴィッテンベルクにおける慣行に従うように、
ルターは手紙で指示しています。
この点が何よりもまず重要です。
ヴィッテンベルクでは
聖餐式の終わった後に残った聖礼典(祝福されたパンとぶどう酒)は
すべて残さずに食されました。
それは、
信仰を傷つけるような危険な疑問の数々を生じさせようにするためでした。
ヴォルフェリヌスは我に返らないかぎり、
このような疑問の数々にとらわれて
結局は「窒息」してしまうことになるでしょうから。

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