2016年11月11日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 15章20〜33節 パウロの計画(その2)

パウロの計画(その2)

パウロ自身はエルサレムで起きたことについては語っていません。
福音書記者ルカは新約聖書の「使徒言行録」の中で、
エルサレムでの使徒たちの再会の模様を記しています。
パウロ側もエルサレム側もキリスト教会の一致を望みました。

律法に執心するユダヤ人たちがモーセの律法に従おうとするのを
邪魔する意図はないことを自らの行動で実際に示すために、
パウロはエルサレムの神殿に行きました。
神殿でパウロを見かけたユダヤ人たちは激高しました。
しかし、ローマ兵たちが事態に素早く介入したため、
パウロは早すぎる殉教の死を免れました。

この出来事の後、パウロはいろいろな場所で拘留され、その挙げ句に、
ローマの皇帝の面前で弁明するために送還されることになりました。
どのようにパウロが皇帝に対峙したのか、正確にはわかっていません。
しかし、パウロが皇帝ネロの迫害で西暦60年代に殺害されたことは
ほぼ確実とみられています。
もちろんパウロが死ぬ前に拘留を解かれて
ヒスパニアへの旅を行った可能性はあります。
初期のキリスト教文献である「使徒教父文書」の一つ、
「コリントの信徒たちへのクレメンスの手紙」(57節)には
この可能性を示唆する記述があります。
これらの事柄に関しては、これ以上確実なことは言えません。
わかっているのは、主の使徒は職務を忠実に全うし、
自らの血によって私たちの主について証をしたということです。