2025年12月8日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」3章1〜9節 「終わりの時」の人間たち(その1)

 「終わりの時」をどのように生きるか

「テモテへの第二の手紙」3章

 

「終わりの時」の人間たち

「テモテへの第二の手紙」3章1〜9節(その1)

 

「しかし、このことは知っておかねばならない。

終りの時には、苦難の時代が来る。」

(「テモテへの第二の手紙」3章1節、口語訳)

 

新約聖書において「終わりの時」は

一般的にはペンテコステ(聖霊降臨)以降の時代を指しています。

これは旧約聖書の予言とメシアについての約束とが

すでに成し遂げられた時代のことです

(「コリントの信徒への第一の手紙」10章11節、

「テモテへの第一の手紙」4章1節、

「ヘブライの信徒への手紙」1章1〜2節、

「ヨハネの第一の手紙」2章18節)。


要するに、ここでパウロは遠い未来のことではなく

彼が生きていた当時の状況について述べていたことになります

(3章5節の「こうした人々を避けなさい」という助言も

このことを示唆しています)。

 

テモテは異端の教師たちが教会に出現してくることを

すでに知っていたと思われます。

パウロがこのことをエフェソの教会の指導者たちに予告した時に、

テモテはパウロと一緒にいたからです

(「使徒言行録」20章28〜31節)。

またパウロはこのことについてテモテに手紙でも知らせていました

(「テモテへの第一の手紙」4章1〜5節)。

ですから、テモテがこのことについて知っていたのは確実です。


この箇所でパウロは、

キリスト教信仰への反対や異端の教えの出現が一過的な現象ではなく、

キリストの再臨の時に至るまで常に教会につきまとうことになる

継続的な問題であることを、テモテに強調したかったのでしょう。


イエス様もまた、

いずれ教会に苦難の時が到来して偽教師たちが出現することを

予言なさいました

(「マタイによる福音書」24章3〜14節)。

 

「その時、人々は

自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、

神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、

融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、

裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、

信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。

こうした人々を避けなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」3章2〜5節、口語訳)

 

上掲の箇所は「終わりの時」に現れる19種類の(邪悪な)人々を挙げています。

この箇所は「ローマの信徒への手紙」1章29〜31節にある

各種の罪の一覧表に類似しています。


これらの罪の特徴は「自己中心さ」と「邪悪さ」という

二種類の基本的な罪のグループに類別することができます。

 

「金を愛する者」について、パウロはすでに

「テモテへの第一の手紙」6章10節でも警告しています

(「ルカによる福音書」16章14節も参考になります)。

また「親に逆らう者」は残念ながら現代にもたくさんいます。

 

上掲の箇所に挙げられているタイプの人々は、

キリスト信仰者であることを自認していました。

私たちはすべての宗教性が

(たとえそれが「キリスト教」の名を語っている場合でさえ)

キリスト教的であるとはかぎらないことを理解しておく必要があります。

 

イエス様はファリサイ人たちを叱責なさいました。

義しい人であるかのようにふるまっていた彼らの信仰が

内実の伴わない空虚なものだったからです

(「マタイによる福音書」23章25〜26節)。

 

「こうした人々を避けなさい」は

彼らの邪悪な生きかたに巻き込まれてはいけないという意味です

(「コリントの信徒への第一の手紙」5章9〜13節も参考になります)。


異端者のグループから離脱することは、

そのグループが神様の御意思に反したよくない生きかたをしていることへの

証でもあります

(「テトスへの手紙」3章10節、

「コリントの信徒への第一の手紙」5章1〜5節)。

2025年12月1日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」2章22〜26節  霊的な戦い

 霊的な戦い

「テモテへの第二の手紙」2章22〜26節

 

「そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。

そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、

義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」2章22節、口語訳)

 

若い指導者たちには誰にも反論を許さないような

情熱的すぎる教会運営を行なってしまう危険がつきまといます。

しかし、大きな船である教会の航路変更には

多大の時間を要することを忘れるべきではありません。

 

「愚かで無知な論議をやめなさい。

それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。

主の僕たる者は争ってはならない。

だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、」

(「テモテへの第二の手紙」2章23〜24節、口語訳)

 

2章16節と同様に上掲の箇所は

無意味な論議をやめるようにという警告です

(「テモテへの第一の手紙」1章4節および6章4節、

「テトスへの手紙」3章9節)。

 

教会の真の変化は教会員たちを忍耐強く教育することから始まります。

論争においては、

たとえ名目上は相手に勝利したとしても

実質的には敗北してしまっている場合があります。

しかし、相手側が正しい教えに聴き入るようにできるならば、

相手が本質的な意味で真に変化する場合も起こりえます。

 

「反対する者を柔和な心で教え導くべきである。

おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、」

(「テモテへの第二の手紙」2章25節、口語訳)

 

「柔和な心」については

「コリントの信徒への第二の手紙」10章1節、

「ガラテアの信徒への手紙」6章1節、

「エフェソの信徒への手紙」4章2節、

「コロサイの信徒への手紙」3章12節も参考になります。

柔和な心は聖霊様の賜る信仰の実のひとつです

(「ガラテアの信徒への手紙」5章23節)。

 

「一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、

目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」2章26節、口語訳)

 

この節は「霊的な戦い」を描いています。

私たちは「真の敵」が誰なのか明確にしておくべきです。

そして実は、それは異端者ではなく悪魔なのです

(「エフェソの信徒への手紙」6章10〜20節)。

私たちは自力では悪魔と戦うことができません。

それはキリストの助けによってのみ可能になります。