神様の忠実さ(その1)
「テモテへの第二の手紙」2章8〜13節
「ダビデの子孫として生れ、
死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、
いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。」
(「テモテへの第二の手紙」2章8節、口語訳)
旧約聖書にその到来が約束されていたメシアはダビデの子孫でした
(「マタイによる福音書」22章42節、
「ローマの信徒への手紙」1章3節)。
死人のうちからキリストがよみがえられたことは、
パウロにとって決して譲歩できないキリスト教信仰の核心でした
(「コリントの信徒への第一の手紙」15章12〜19節)。
パウロの宣教した福音は
彼自身の発案によるものではなく
神様からの賜物でした
(「テモテへの第一の手紙」1章11節、
「ローマの信徒への手紙」2章16節)。
「この福音のために、
わたしは悪者のように苦しめられ、
ついに鎖につながれるに至った。
しかし、神の言はつながれてはいない。」
(「テモテへの第二の手紙」2章9節、口語訳)
パウロは福音のゆえに多くの労苦を強いられました
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章22〜29節)。
「悪者」はギリシア語で「カクウルゴス」といい
「悪事を行なった者」という意味を持ち、
イエス様と一緒に十字架につけられた二人の男たちの呼び名でもありました
(「ルカによる福音書」23章32節)。
「それだから、わたしは選ばれた人たちのために、
いっさいのことを耐え忍ぶのである。
それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、
また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。」
(「テモテへの第二の手紙」2章10節、口語訳)
神様はパウロをまさしく福音のゆえに苦しみを受けるために召命した
とさえ言っておられます
(「使徒言行録」9章10〜19節)。
囚人となった時にもパウロは福音を宣べ伝えることができました。
例えば、
フィリピ(「使徒言行録」16章25〜34節)、
エルサレム(「使徒言行録」23章1〜6節)、
カイザリヤ(「使徒言行録」24章10〜23節、26章1〜29節)
そしてローマ(「使徒言行録」28章30〜31節)においてです。