2025年8月14日木曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節 忠実な友と不忠実な友

 忠実な友と不忠実な友

「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節

 

「あなたの知っているように、

アジヤにいる者たちは、皆わたしから離れて行った。

その中には、フゲロとヘルモゲネもいる。

どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。

彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、

ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、

尋ね出してくれたのである。

どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。

――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、

だれよりもあなたがよく知っている。」

(「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節、口語訳)

 

エフェソはアジヤ州の州都でした。

この箇所でパウロは自分の教会ではなく

手紙の受け取り手たちの教会の状況について述べています。

 

パウロは「皆わたしから離れて行った」と書いていますが、

これは誇張でしょう。

エフェソには少なくともオネシポロの家族がいましたし

(1章16節、4章19節)、

テモテはパウロに対して忠実を貫いたからです。

 

エフェソとローマの間で

パウロの近況についての情報が共有されていたことに注目しましょう。

現代よりもはるかに時間がかかったものの、

ローマ帝国は当時の社会としては

高度に発達した情報化社会だったとも言えます。

 

フゲロとヘルモゲネ(1章15節)について私たちは何も知りません。

パウロがここで彼らの名前を挙げたのは、

少なくとも彼らは忠実でいてくれるだろう

というパウロの期待のあらわれなのかもしれません。

 

アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、

パウロの宣教した主の福音を聞く機会がありました

(「使徒言行録」19章10節)。

にもかかわらず、

エフェソの信徒たちは使徒パウロを裏切り、失望させました。


パウロは第三次伝道旅行の際に

キリスト信仰から離反する者たちが出てくることを予見していました

(「使徒言行録」20章28〜29節)。

残念ながら、その通りになってしまいました。

 

オネシポロ(1章16節)はエフェソの商人だったようです。

彼はローマに旅行した時に

パウロの投獄されている牢屋を捜し当てました。

 

パウロが最初にローマで投獄された時

(「使徒言行録」28章30〜31節)とは異なり、

今回のパウロの投獄は鎖に繋がれる過酷なものでした

(2章9節。「エフェソの信徒への手紙」6章20節も参考になります)。

 

この手紙が書かれた時点で

オネシポロがすでに死んでいたかどうかは不明です。


ローマ・カトリック教会は

死者たちのために祈ることの聖書的な根拠として

例えば上掲の1章18節

(「どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。

――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、

だれよりもあなたがよく知っている。」)

を挙げています。


オネシポロがすでに死んでいたと解釈する場合には、

パウロはこの節で死者のために祈ったことになります。


死者のために祈ってよいかどうかという質問を受けた

宗教改革者マルティン・ルターは

「一度か二度なら祈ってもかまわないが、

その後は主に死者をお委ねしなさい!」

と答えています。

 

オネシポロがパウロに仕えた(1章18節)のは

パウロの第三次伝道旅行の時か、あるいは

パウロが出獄後にエフェソを訪問した時のことであったと思われます

(「テモテへの第一の手紙」1章3節)。

 

この世における福音伝道は

極めて困難な状況に追い込まれることがあります

(「ルカによる福音書」18章8節が参考になります)。


しかし神様は福音がこの世から完全に消滅することを決して容認なさいません。


キリストに従うようになった人々も含めて全人類を惑わすために、

サタンはあらゆる手段を講じます

(「コリントの信徒への第二の手紙」11章14節、

「ペテロの第一の手紙」5章8節)。

ですから、

私たちは神様の敵対者(サタン)の力を軽視せずに戦うために

神様からの支えを祈り願うべきなのです。

 

「そして、あなたにゆだねられている尊いものを、

わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」1章14節、口語訳)