やもめたちの教会での職務
「テモテへの第一の手紙」5章9〜16節
60歳以上のやもめは再婚することをあきらめて(5章9節)
教会への奉仕に専念することができました。
彼女たちはそのために「初めの誓い」を行いました(5章12節)。
「やもめ」の職務内容には
祈り(5章5節)、奉仕(5章10節)、家庭訪問(5章13節)
が含まれていました。
西暦200年代にはやもめの職制にかかわる問題が起きてきました。
彼女たちの一部は教会の霊的な指導者の地位を欲するようになったのです。
それとともにやもめの職制はなくなりました。
教会教父たちはやもめの職制についての記述を残しています。
この職制は現代のディアコニア職に該当します
(「使徒言行録」9章36〜41節も参考になります)。
後に「やもめ」とみなされる年齢制限は50歳にまで引き下げられました
(5章9節と比較しましょう)。
パウロは5章14節で
「若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、
そして、反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい」
と述べています(3章2、12節も参考になります)。
ですから「ひとりの夫の妻であった者」(5章9節)とは
「夫に対して妻として忠実であり続けたやもめ」という意味になるでしょう。
客人の足を洗うのは僕(しもべ)の仕事でした
(5章10節。
「ヨハネによる福音書」13章4〜5節や
「ルカによる福音書」7章44節も参考になります)。
この奉仕のありかたは
自らを低める態度を他の人々にも要求するものでした。
若いやもめの怠惰さや暇つぶし(5章13節)は
いともたやすく他の悪徳とも結びついていきます。
「彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある。」
(「テモテへの第一の手紙」5章15節、口語訳)
この節はグノーシス主義に転向した若いやもめたちを示唆している
と考えることもできます。
サタンのあとを追うことは異端に陥ることを意味しています。
「女の信者が家にやもめを持っている場合には、
自分でそのやもめの世話をしてあげなさい。
教会のやっかいになってはいけない。
教会は、真にたよりのないやもめの世話をしなければならない。」
(「テモテへの第一の手紙」5章16節、口語訳)
教会によるやもめの支援は
本当に支援が必要なやもめたちだけのためであることを
この節は再度強調しています(5章3、8節)。
パウロの教えは現代社会においても重要となる視点を提供しています。
それは困窮の度合いに応じて支援の量も変えていくべきである
という考えかたです。
全員に等しく分配される社会福祉の経済的な利益は
受け取る側の人々の間に存在する経済力の格差を
是正するものではなくなっています。
社会福祉の分配を適切に管理しないかぎり、
社会福祉を本当に必要としている人が受けるはずの利益を
それ以外の人々が濫用するのを助長しかねません。
パウロはキリスト信仰者の心の中にも
強欲で自己中心的な「古い人」が巣食っていることをよく知っていました。
それゆえ教会は支援の分配を監視しなければならないのです。
社会的弱者(やもめなど)の親戚たちは
「社会的弱者の世話は社会がするべきだ」という考えかたを
都合よく引き合いに出して自らの責任を回避するべきではありません。