2017年6月5日月曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その3)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その3)


「「神の子」(イエス・キリストのこと)が
パンとぶどう酒の中に存在している」というのは、
単純すぎる迷信的な考えであると思われるものかもしれません。
天の御国において父なる神様の右の座におられるイエス様が
聖餐の中に臨在なさっていることや、
イエス様がいろいろな場所で行われている聖餐式に
同時に存在なさっていることを、
私たち人間の理性はおそらく理解しえないことでしょう。

こうした事柄を信じるのが困難であるのは、
私たちが聖餐式でイエス様にお会いしていることを
実感できないからでもあります。
イエス様がおられるならそれを感じるはずである、
と私たちは考えがちなのです。

しかし、私たちの理性や感情がどのようであろうとも、
神様の御言葉自体が何を言っているかを見つめて、
それを信じるべきなのです。
このようにすることで私たちは、
信仰を殺してしまう理性の乱用や、
私たちの信仰が自らの感情に左右されてしまう状態から
守られます。

信仰は神様の御言葉に基づくべきものです。
すなわち、
私たちは聖書が言っていることを信じる、ということです。
こうすれば、私たちの信仰は堅く保たれます。
神様の働きは私たち人間の感覚や理解に依存するものではありません。