2017年5月17日水曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その1)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その1)

フィンランド語版著者 ヤリ・ランキネン(牧師)
日本語版編集・翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)

「主の聖餐について(De cena Domini)、
キリストのからだと血とは主の聖餐の中に
真に臨在しており(vere adsint)、
それを食する者たちに分け与えられる、
と(私たちの諸教会は)教えています。
そして、これとは異なって教える者たちを認めません。」
(「アウグスブルク信仰告白」第10条、ラテン語版、高木が訳出)。

「これは私のからだです。(中略)これは私の血です」
(「マタイによる福音書」26章26~28節)。

この御言葉によって主イエス様が言われたいのは、
イエス様自らが聖餐のうちに、
ほとんど目立たないかたちをとりながらも、
真に(vere)臨在しておられるということです。

「牧師が聖餐について正しく教えているかどうか、
どうしたら知ることができるのでしょうか?」、
という質問をある人から受けたルターは、
「あなたが聖餐を分け与えているときに
あなたの手に持っているものは何ですか?」
牧師に対して尋ねてみるように、その人に命じました。
聖餐というものがどれほど素晴らしいことであるかわかっているならば、
その牧師は「私は手にイエス様を持っています」と答えることでしょう。


イエス様は聖餐のパンとぶどう酒の中におられます。
それゆえ、
牧師は祝福された聖餐のパンとぶどう酒を高く持ち上げて、
それからそれらに対してひざまずくこともあります。
あるいは、
ルター派の礼拝の聖餐の部において、
礼拝参加者一同が「神の小羊」という歌を祈りつつ歌うさいに、
聖壇の中央にある聖餐のパンとぶどう酒の中におられるイエス様のみが
会衆の賛美の唯一の対象となるようにするために、
牧師が聖壇のわきに退くこともあります。